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2010/10/30
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin

私のサイトを作り始めて5ヶ月,なかなか完成できず私のイライラは8月に最高潮に達していました。
いつも考えたら,即行動に移し“イエス”,“ノー”をはっきりさせて今迄来ました。皆様の助けがいっぱいあったからこそ今,完成間近です。
26年前からお付き合いをして頂いている電気店の若社長の新内君,公務員の三重(みしげ)君,NTTにお勤めの園屋君,息子の幸司,大学時代から30年お付き合いしている谷川君,こまねずみのように私を助けてくれる松永君,私はこのタイプの人達は嫌なタイプの人達です。でもサイトを作るために本当に真剣にどんな用事があっても私のサイトを最優先に考えて下さって,私がいなくてもグッドアイデアを出して頂いております。
皆さんとは15年以上の付き合いです。私は話し合いの時,修行に県外に行って5回中3回欠席しました。お陰様で皆様からとてもシンプルで見やすいというお褒めの言葉を頂いて,私もヤル気が沸いております。

 この5ヶ月で嬉しい事が2件ありました。それは離婚寸前だった若い夫婦が,思い留まり,やり直すように考えた事と目的も無く生きている自分に気付いた若者,一番嬉しい事は「ありがとう。」と私を励まして下さる人が増えた事です。
小さな小さな私が皆様のお役に立てている事はこの上ない喜びです。私は今も考えながら生きています。一日一日が大切で,積み重ねても積み重ねてもまだ足らない自分に出会える事を知る時は嬉しいです。

サイトを作る時に考えた事は,おじいさんがうららかな陽だまりで小さな子供達と広い縁側に座ってお菓子を食べてながら“思いやり”や“優しさ”をゆっくり教えてあげたいと今も考えております。
サイトを開けて下さる皆様がダウンロードで私の書いた言葉を役立てて頂いている事,プリントアウトして家に貼って下さっている皆様。先日プリントアウトを20枚してみました。すぐに皆様に貰って頂きました。最初に書きました嫌なタイプの皆様,感謝の裏返しです。有難うございます。もっともっと助けて下さい。

2010/10/17
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin

先日,45年振りに友人から電話がありました。
2年前に,私が重い病気に掛かり今はもうこの世にいないかもという事が噂になっているとの事でした。
電話のベルが鳴り,私が出ますと腰が抜けたと驚いていました。

有難いですね。私を思い出して頂いた事,私に電話して頂いた事にとても喜びを感じ感謝して友人からいっぱいエネルギーを頂きました。
彼は私より4才年下で65才です。当時,私と彼は20才と24才で兵庫県尼崎市にある住友金属で働いていました。
歌が好きで大阪,梅田にある歌声喫茶に行ってよく歌を歌って,一日の疲れを発散させていたものでした。

彼には可愛い彼女がいて仲良く付き合っていたのですが,ある日突然,彼は無断欠勤をしていなくなりました。
当時は今のように携帯電話が無くて,皆は必死で探しましたが3日間は音信不通でした。4日目の夜,彼は夜遅くに私の家に来まして朝方迄話したところ,彼は自分の出身地の高知県須崎市に帰っていたと言いました。
その当時の須崎市はとても田舎で,若い人達の仕事は無かったそうで,皆,中学校を出ると都会(大阪,神戸)へ働きに出ていた時代です。
突然に別れ話を出され目の前が真っ白になり,何も考えることができず,半分意識もうろうとして船に乗って帰ったようです。そのあと電車に乗り換えたのを覚えていなかったと言いました。

家の近くに来た時に我に返り,暗くなった家の前で母さんがしゃがんで洗濯をしている姿を見て,しばらくの間じっと母さんを見ていて,涙が止めども無く出て,どうして今自分がここにいるのか判らなかったと話しました。
そこにしゃがみ込んでタバコをたくさん吸い,母さんに洗濯機を買う迄 頑張ろうと考えたそうです。
駅までトボトボ歩く自分の姿は負け犬だと言っておりました。
駅前の公衆電話から家に電話した時,父さんが「もしもし,もしもし。もしもし誰ですか。」と声を聞いた時,何も言えず黙って父さんの優しい声を聞きながら,ただ泣いていたと話しました。
母さんのヨレヨレのスカート,父さんの優しい声,最終電車が来る迄,駅のトイレで声を出して泣いて,真っ赤に泣き腫らした目で尼崎まで帰って来たと言いました。
彼は25才になる迄住友金属で一生懸命働いて26才で退職し,現在は大阪の堺市で町工場を経営して今も現役で頑張っていると話しました。

彼は頑固で優しい人です。
 若い時に約束しました。
  親が死んだ時と子供が生まれた時以外は泣かないようにと・・・。

私は約束を破りました。
たくさん破りました。
いつも周りの人から優しくされた時,息子と嫁の結婚式の時に・・・。
今度は孫が受験にパスした時は泣きまくります。

東君もたくさん約束を破っていると思います。
 今も友達でいてくれて有難う, 感謝しています。

2010/10/07
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin

 私は食べ物の好き嫌いは殆んどありませんがトマトはつらいです。(少しは食べますが・・・)
小学校へ行く頃,父がいなかったので家にお金が無くて朝,昼,夜の食事はトマトしかありませんでした。子供の私が握ると隠れる位の小さなトマトです。初めに真ん中を“プチー”と噛んで,汁を吸って,後はガブガブと食べました。3個から5個位食べるとお腹がいっぱいになり,心の中では白い米粒を夢に見ていました。
小学校3年生迄は遠足にも行けずに家にいました。
その年,母と尼崎から梅田(大阪)まで初めて電車に乗りました。足にワラジを履いて,本当に嬉しいでした。中学校2年の3学期に母は1500円の学生服を買ってくれました。嬉しいというよりも,母に「生活費は大丈夫だろうか?」と聞いたのを覚えています。母は「心配するな。」と一言言いました。今,考えれば母は強い人でした。
中学3年の時,高校入試がありまして当然の様に友達は入試を受けました。私は入試の試験を受けるのにお金が無くて,1日50円のアルバイトをして受験料を自分で都合しました。私は合格しましたが教科書と手続きするお金が無くて,小さな小さな胸を痛めていましたら,母が泣きながら着物を2枚売りに行ったのを今でも走馬灯の様に,思い出します。その時は解らなくて,母は何故泣くのだろう。僕が高校を合格したから泣いているのかなと思っていました。
今,母が元気でいてくれたら94才,私があの世に行ったら母にぜひ聞きたいです。

2010/09/29
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin

デブ・ラズく~ん愛しているよ!
ネパールから神戸の日本語学校に来てまじめに勉強をしている若者がいます。
以前に書きましたが,パラス君、アンジャン君とは三宮の山手にあるインド料理店で知り合いました。
店の名前はナマステ(こんにちは)と言う意味だそうです。
コックさんとは知り合いだったので話していますと,傍に若者が2人寄って来て私達の話を聞いていました。
最初に書きました様に日本語は難しいので私達と話をしたいと言いました。

 その時私達はヴィセル神戸でマネージャーをしている潟山君とベトナム人のコイ君と3人でした。
それから2回会いまして一緒に食事をしている時,彼等は3人でネパールから日本に来た時,エージェントの人が彼等のお金を持ち逃げしたそうです。
ネパールでは1ヶ月2万円あれば5人家族が充分食べていける額だそうです。彼等にとって7年分のお金をエージェントは持ち逃げしたそうです。
彼等のショックは想像が付きますでしょう?健気に朝5時に起きて働いて,昼は学校に行って,また夜も働いています。

 パラス君とアンジャン君と一緒に食事をしていました。お金が無いので野菜で飢えをしのいでいます。私が神戸に行けばインド料理,ベトナム料理,あとチキンのから揚げ定食と海老の天ぷらをご馳走しています。彼等が美味しそうに食べるのを見ていると胃の無い私まで食が進みます(後で苦しいです)。
ネパールの親に相談したら,「自分で計画を組んだのだからあなたの責任でしょう。自分で考えて生活しなさい。」と言われたそうです。ネパールの親は強いですね。日本の親は何と言うでしょう?

 私はもう1人のネパール人の若者はどうしているのか気になりました。パラス君に紹介を受けたのがデブ・ラズ君です。知り合ったのが8月3日です。デブ君はそれ以来,毎日私の事を心配して「お父さん元気?今日は薬を飲みましたか?」と言って電話してくれます。
先日9月8日の事です。彼等は朝晩働いています。私が「お金も無いから電話しなくても良いよ。」と言いますと,「それ心配ない。お父さんが心配。」と言ってくれます。皆さん,考えて下さい。知り合って翌日から毎日です。先日,夜中に「お父さん疲れたよ~」と電話が来ました。
野菜ばかり食べているデブ君,いつもはキツイ性格をしている私がデブ君の事を考えると切なくウルウル来ました。

1円のお金も大切にするデブ君,彼の夢はお金を貯めて一日でも早くお父さんの住んでいる鹿児島に来る事と早く日本語がうまくなって大学に行く事だそうです。
卒業したらネパールの国のために役立つ事だそうです。良家の息子さんが今,大変な苦労しています。
サイトを読んで下さっている皆さん,デブ君は1円を大切に貯金していますよ。
君達は食べ物を粗末にしていませんか?私に毎日電話して愛とパワーを沢山くれています。
暑いアルバイト先から,クタクタに疲れた時に電話で「お父さん暑いね。体、大丈夫?薬飲んだ?」「僕の事愛してる?」と言います。
彼は23才でとてもハンサムな若者です。「デブ,一番愛してるよ~」明日も元気でねー。サイトを読んで下さっている皆様も愛しています。

2010/09/12
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin

最近、私の所にご予約を取られます方の中に長谷川先生はお元気ですか?とよく言って電話を掛けて来られる方々が多いです。
巷の噂では私はもう危ないのでは・・・。ひどい噂ではもう亡くなった様に言われています。とんでもない事です。
私は8月に宝塚の中山寺と京都へお参りに行って来ました。
皆様ご存知の様に8月4日の京都は38度ありました。私の体温は35度6分ですから言うまでもありません。
頭はフラフラ、坂道は大変苦しいでした。後日、また書きますが・・・。
その時ネパール人の子供2人も一緒に行きました。
パラス君とアンジャン君と言います、私に荷物を持たせないで彼等が全部持ってくれまして坂道の時は背中を押してくれました。
比叡山の延暦寺に行きましたが、坂道と階段の多い所で汗びっしょりかきながら私が転ばない様に助けてくれました。
私は有難くて汗と涙が出ました。彼等いわく、私はネパールのお父さんに似ているそうです。
もともと若い頃は両親から我がままと言われ続けていまして、自分でも 何故素直に「はい」と言えないんだろうと悩んだ事もありました。私はイエス、ノーがはっきりしていて、嫌な時はノーと言えます。ノーと言う理由をはっきり伝えます。
日本人から“まあまあ”とか“どちらでも”・“だいたい”・“何でも良いよ”とか言われて理解できないそうです。
悪い時は悪い、良い時は褒めてあげます。私は外人だから“まあいいか”は言いません。
日本に来て9ヶ月、日本語は9ヶ月にしてはとても上手です。
最近、私が(月に一度)大阪に行きますとアルバイトを休んで伊丹空港に迎えに来てくれます。「お父さん、お帰りなさい。元気だった?」私は21才と20才の子供からパワーを貰い、このひと時が一番幸せなひと時です。

 いつも私のサイトを開けて下さっている若い皆さん、面倒くさがり屋の皆さんにお願いします。少しの時間を親や友達の為に作ってあげて下さい。
相手の喜ぶ顔を見たら知らず知らず成長していく自分に気付きますよ。
両親はいつもイヤ味を言いますね、同じ事を何回も言ったりします。それは自分の子供がどれだけ成長したか見たいのです。私もよくしています。

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