先日,45年振りに友人から電話がありました。
2年前に,私が重い病気に掛かり今はもうこの世にいないかもという事が噂になっているとの事でした。
電話のベルが鳴り,私が出ますと腰が抜けたと驚いていました。

有難いですね。私を思い出して頂いた事,私に電話して頂いた事にとても喜びを感じ感謝して友人からいっぱいエネルギーを頂きました。
彼は私より4才年下で65才です。当時,私と彼は20才と24才で兵庫県尼崎市にある住友金属で働いていました。
歌が好きで大阪,梅田にある歌声喫茶に行ってよく歌を歌って,一日の疲れを発散させていたものでした。

彼には可愛い彼女がいて仲良く付き合っていたのですが,ある日突然,彼は無断欠勤をしていなくなりました。
当時は今のように携帯電話が無くて,皆は必死で探しましたが3日間は音信不通でした。4日目の夜,彼は夜遅くに私の家に来まして朝方迄話したところ,彼は自分の出身地の高知県須崎市に帰っていたと言いました。
その当時の須崎市はとても田舎で,若い人達の仕事は無かったそうで,皆,中学校を出ると都会(大阪,神戸)へ働きに出ていた時代です。
突然に別れ話を出され目の前が真っ白になり,何も考えることができず,半分意識もうろうとして船に乗って帰ったようです。そのあと電車に乗り換えたのを覚えていなかったと言いました。

家の近くに来た時に我に返り,暗くなった家の前で母さんがしゃがんで洗濯をしている姿を見て,しばらくの間じっと母さんを見ていて,涙が止めども無く出て,どうして今自分がここにいるのか判らなかったと話しました。
そこにしゃがみ込んでタバコをたくさん吸い,母さんに洗濯機を買う迄 頑張ろうと考えたそうです。
駅までトボトボ歩く自分の姿は負け犬だと言っておりました。
駅前の公衆電話から家に電話した時,父さんが「もしもし,もしもし。もしもし誰ですか。」と声を聞いた時,何も言えず黙って父さんの優しい声を聞きながら,ただ泣いていたと話しました。
母さんのヨレヨレのスカート,父さんの優しい声,最終電車が来る迄,駅のトイレで声を出して泣いて,真っ赤に泣き腫らした目で尼崎まで帰って来たと言いました。
彼は25才になる迄住友金属で一生懸命働いて26才で退職し,現在は大阪の堺市で町工場を経営して今も現役で頑張っていると話しました。

彼は頑固で優しい人です。
 若い時に約束しました。
  親が死んだ時と子供が生まれた時以外は泣かないようにと・・・。

私は約束を破りました。
たくさん破りました。
いつも周りの人から優しくされた時,息子と嫁の結婚式の時に・・・。
今度は孫が受験にパスした時は泣きまくります。

東君もたくさん約束を破っていると思います。
 今も友達でいてくれて有難う, 感謝しています。