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2012/10/31
カテゴリー: ダウンロード
投稿者: admin2

待受け画像-「だらだらするな」



待受け画像-「母さん好きだよ」

2012/10/24
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

「長谷川先生 こんにちは!」元気な声で呼び止められました。私は屋久島に行くのに,今日は2時間前に鹿児島空港に着いていました。昼食を食べようかと,ひとり店のウインドウを覗いているところでした。名前は石原君(仮名)と言いまして,20年前に月曜日の修行に参加していた青年でした。当時,彼は20才のスポーツ万能の人で,鹿児島県ではかなり有名な人でした。
その当時,鹿児島市内でレストランを開店したいとお伺いに来ました。答えはノーで,まだ経験が浅い事と商売のノウハウが解っていないという事だったのですが,彼のお母さんが食堂で働いていた事もあり,お母さんと2人で,市内の繁華街で定食屋と喫茶店を始めたのです。
彼曰く,1日1万円売り上げると,1ヶ月で60万円,家賃は20万円なので40万円は残ると計算して開店したのでした。始めた月は身内や友だち等が来て,50万円くらい売り上げたのですが,2ヶ月目からは25万~30万くらいしか売り上げが無かったので,7ヶ月目には600万円の借金を残して閉店しました。

閉店してから約20年間,彼と会っていなかったので最初は誰か解らなかったのですが,石原ですと言ったので思い出して,一緒に昼食を共にしました。日替わりランチを食べて,コーヒーを飲みながら1時間程過ごしました。石原君は借金を返すのに15年掛かったそうです。人のアドバイスを聞かなかった事,勢いだけで生きてきた事で,お金はもちろんの事,人生もすごく遠回りした事,借金を返す為に東京で働いている時にお父さんが亡くなった事,この20年間で無くしたものが大きすぎたと話していました。
石原君は来月11月末に結婚するそうです。彼は43才,今から第2の人生を歩もうとしています。私は簡単に書いて,石原君には壮絶な苦労をしているのに少し気が引けますが・・・。

石原君は私の噂を聞いていて,もうガンで5年前に死んだと聞いていたので,私と会えた事が神様が会わせて下さったと,涙をボロボロ流して喜んでくれました。ありがたいですねと石原君に言いました。そして世間の噂は恐いですね。私はまだまだ死なないですよ。必要とされている限り生き続けます。石原君とは携帯番号を交換して別れました。彼は実家に,私は屋久島に別れました。

2012/10/15
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

最近の電話で妻が出ますと,「先生はお元気ですか?」「お変わりはありませんか?」から「まだお伺いをしていますか?」最強なのは「まだ生きていらっしゃいますか?」まで,私を心配して頂く電話が多くなってきました。本当に有難い事だと感謝しております。
電話に出る妻は,時々落ち込んでいる時もありますが,私は妻に言います。「有難いね。あと3ヶ月すれば72才になるのに,こんな年になっても皆様に気に掛けてもらえるのは幸せだよ」と言い合っております。世間では,友だちや皆様が脳梗塞やガンになられるのを聞く度に心を痛めて,屋久島や大阪方面に修行に行っております。時々,若い方も一緒に行きまして私を助けてくれます。いつも私は,自分の知っている事はできるだけ教えています。例えば,「神仏を拝む時は,初めに何を言えば良いのですか?」と聞かれます。手記を読んで頂いておられる皆様も参考にして頂ければ有難いので書きます。
① 今日,ご縁を頂きまして有難うございます
② 世の中がいつも平和でありますように
③ 御先祖様が成仏できますように
④ 家族の皆が元気で過ごせますように
⑤ 私に御縁のある全ての人々が幸せであるように
⑥ 自分が素直でいて,人様に迷惑を掛けない生き方ができますように
と拝んでいます。

先月,中山寺にお参りして,その日は気温が36度ありました。あまりにも暑くて,お寺のベンチに腰掛けて休んでいましたら,若いカップルの人から「どのように拝んだら良いのですか?」と聞かれましたので,今書いた様に私は拝んでいますと答えましたら喜ばれました。皆様はどのように拝んでいますか?
私が小さい頃,母と中山寺にお参りに来た時,母は言いました。「自分の事を一番初めに拝んだらあかんよ!人が良くなる様に拝まんと・・・。人が良くなったら本当に(心から)喜んであげたら良いんだよ」「そうしたら自分の事は?」と聞きますと,「最後でええんやろ!」
その当時,父は病気をしていましたので母と毎週,尼崎から通っていたのを思い出します。

私は中山寺に行くと,幼かった自分に帰れますので,お金では得られない幸せになれる事が嬉しいのです。その日は日曜日でした。若いカップルは月に一度お参りに来るそうです。また会える日を楽しみにして別れました。カップルはもうすぐ結婚するそうです。母が教えた,人の事を初めに考える,その教えは今も私の体で生きています。

2012/10/07
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

私が、2年前の9月29日に配信しました「デブ君,愛してるよ」という手記の中に出てくるバスネト・デブラズ君とのその後を書きます。今でも毎月,大阪,神戸に行きますと殆ど伊丹空港に迎えに来てくれます。
デブ君は朝6時から10時迄ホテルのレストランで働き,10時から午後1時迄ベッドメイキングで働いて,午後1時半から学校で授業を受けて,5時半になると又違うホテルのレストランで夜10時迄働いています。デブ君は働き過ぎなので,体調を崩さないか心配しております。
私が3~4日間,あちこちに修行に行きますと,デブ君は時間の許す限り私と同行してくれて,荷物を持ったり,一緒に修行していますので,今ではお経を一緒にあげたりしています。デブ君は3月で26才になり,2年間のお付き合いをしていますと,少しは変わると思うのですが,彼は情緒面では全然変わらず,「今,元気でいれるのは,お父さんのお陰だ」と言っています。外国人は日本に慣れてきますと,ハメをはずしたり,悪い事を教えられたりしますが,デブ君は2年前と変わらず良い人です。私もアメリカ人やヨーロッパ系の友だちともお付き合いをしていますが,アジア系の人との相性が合うようです。
話しは戻りますが,最近,ネパールに住んでいるお父さんが単車で事故を起こしてようで,頭を強く打って入院しています。外傷が無いので、CTスキャンをしたのですが,お父さんは体調が悪くて入院しています。お父さんは47才,私の娘とあまり年が変わらないのです。私も心配していますが,デブ君の落ち込みようを見ていると可哀想です。昔,デブ君はお父さんが嫌でいつも反抗していたようです。20才の時の話ですが・・・。日本に来て3年,親の有難さが今ではよく解るようになって,私と知り合った頃から両親に電話をするようになりましたが,ネパールも不景気で生活も大変そうです。私の知っている限りでは,アジア人は恵まれない人が多く,勉強して将来は豊かな生活を送りたくて日本の専門学校や大学で一生懸命頑張っている人をよく知っています。中には良くない仕事をして学校に行かず,夜も夜中も働いている人も多いと聞きました。ネパールでは今でも電気や水道が無い家があるそうです。私は想像が付きません。

私の所には孫がたくさん来ていまして,浩輝や健太郎,純泰,その他優しい孫がいます。浩輝は坊ちゃんです。広島の大学に行っていますが,仏様に御供えを買って来たそうですが,家に忘れて来ました。健太郎は父の日に私の好きな帽子を買ってくれました。純泰からは何を貰ったんだろう,記憶が有りません。私がバカになったのかもしれません。娘の孫は,父の日や誕生日には頭の毛が3~5本くらいしかない顔を色紙に書いて送ってくれます。デブ君の話に戻りますが,私が神戸に行ってデブ君の家に泊まると言いますと,枕カバーを洗ってくれてあります。私が寝る布団カバーをクリーニングに出してあります。今年の夏は1000円の肌布団を買ってありました。自分の生活は切り詰めて食費を浮かせているそうです。7月にラーメンと焼き飯をおごってくれました。お父さんは鹿児島からたくさんお金を使って来るので,少しでも助けてあげると言います。ほっか弁も食べさせてくれました。本当に質素な生活をしているデブ君,私はデブ君の優しさや愛を食べて幸せな気持ちになります。言葉のキャッチボールは楽しいね。
今迄生きてきて良かったです。私の友だちは朝起きたら,今日も元気で良かった,今日は何をしようかなと考えるそうです。朝一番に病院に行って,昼から1日が始まると話していました。皆様いつも私の健康をお祈りして下さって有難うございます。
何かが起きたらそれを悔やむより,起きた事は仕方ない。その事を引きずらないで生きる方が長生きできそうです。
上手く書けなかったですが,デブ君いつも心配させてくれてありがとう。