私が、2年前の9月29日に配信しました「デブ君,愛してるよ」という手記の中に出てくるバスネト・デブラズ君とのその後を書きます。今でも毎月,大阪,神戸に行きますと殆ど伊丹空港に迎えに来てくれます。
デブ君は朝6時から10時迄ホテルのレストランで働き,10時から午後1時迄ベッドメイキングで働いて,午後1時半から学校で授業を受けて,5時半になると又違うホテルのレストランで夜10時迄働いています。デブ君は働き過ぎなので,体調を崩さないか心配しております。
私が3~4日間,あちこちに修行に行きますと,デブ君は時間の許す限り私と同行してくれて,荷物を持ったり,一緒に修行していますので,今ではお経を一緒にあげたりしています。デブ君は3月で26才になり,2年間のお付き合いをしていますと,少しは変わると思うのですが,彼は情緒面では全然変わらず,「今,元気でいれるのは,お父さんのお陰だ」と言っています。外国人は日本に慣れてきますと,ハメをはずしたり,悪い事を教えられたりしますが,デブ君は2年前と変わらず良い人です。私もアメリカ人やヨーロッパ系の友だちともお付き合いをしていますが,アジア系の人との相性が合うようです。
話しは戻りますが,最近,ネパールに住んでいるお父さんが単車で事故を起こしてようで,頭を強く打って入院しています。外傷が無いので、CTスキャンをしたのですが,お父さんは体調が悪くて入院しています。お父さんは47才,私の娘とあまり年が変わらないのです。私も心配していますが,デブ君の落ち込みようを見ていると可哀想です。昔,デブ君はお父さんが嫌でいつも反抗していたようです。20才の時の話ですが・・・。日本に来て3年,親の有難さが今ではよく解るようになって,私と知り合った頃から両親に電話をするようになりましたが,ネパールも不景気で生活も大変そうです。私の知っている限りでは,アジア人は恵まれない人が多く,勉強して将来は豊かな生活を送りたくて日本の専門学校や大学で一生懸命頑張っている人をよく知っています。中には良くない仕事をして学校に行かず,夜も夜中も働いている人も多いと聞きました。ネパールでは今でも電気や水道が無い家があるそうです。私は想像が付きません。

私の所には孫がたくさん来ていまして,浩輝や健太郎,純泰,その他優しい孫がいます。浩輝は坊ちゃんです。広島の大学に行っていますが,仏様に御供えを買って来たそうですが,家に忘れて来ました。健太郎は父の日に私の好きな帽子を買ってくれました。純泰からは何を貰ったんだろう,記憶が有りません。私がバカになったのかもしれません。娘の孫は,父の日や誕生日には頭の毛が3~5本くらいしかない顔を色紙に書いて送ってくれます。デブ君の話に戻りますが,私が神戸に行ってデブ君の家に泊まると言いますと,枕カバーを洗ってくれてあります。私が寝る布団カバーをクリーニングに出してあります。今年の夏は1000円の肌布団を買ってありました。自分の生活は切り詰めて食費を浮かせているそうです。7月にラーメンと焼き飯をおごってくれました。お父さんは鹿児島からたくさんお金を使って来るので,少しでも助けてあげると言います。ほっか弁も食べさせてくれました。本当に質素な生活をしているデブ君,私はデブ君の優しさや愛を食べて幸せな気持ちになります。言葉のキャッチボールは楽しいね。
今迄生きてきて良かったです。私の友だちは朝起きたら,今日も元気で良かった,今日は何をしようかなと考えるそうです。朝一番に病院に行って,昼から1日が始まると話していました。皆様いつも私の健康をお祈りして下さって有難うございます。
何かが起きたらそれを悔やむより,起きた事は仕方ない。その事を引きずらないで生きる方が長生きできそうです。
上手く書けなかったですが,デブ君いつも心配させてくれてありがとう。