「長谷川先生 こんにちは!」元気な声で呼び止められました。私は屋久島に行くのに,今日は2時間前に鹿児島空港に着いていました。昼食を食べようかと,ひとり店のウインドウを覗いているところでした。名前は石原君(仮名)と言いまして,20年前に月曜日の修行に参加していた青年でした。当時,彼は20才のスポーツ万能の人で,鹿児島県ではかなり有名な人でした。
その当時,鹿児島市内でレストランを開店したいとお伺いに来ました。答えはノーで,まだ経験が浅い事と商売のノウハウが解っていないという事だったのですが,彼のお母さんが食堂で働いていた事もあり,お母さんと2人で,市内の繁華街で定食屋と喫茶店を始めたのです。
彼曰く,1日1万円売り上げると,1ヶ月で60万円,家賃は20万円なので40万円は残ると計算して開店したのでした。始めた月は身内や友だち等が来て,50万円くらい売り上げたのですが,2ヶ月目からは25万~30万くらいしか売り上げが無かったので,7ヶ月目には600万円の借金を残して閉店しました。

閉店してから約20年間,彼と会っていなかったので最初は誰か解らなかったのですが,石原ですと言ったので思い出して,一緒に昼食を共にしました。日替わりランチを食べて,コーヒーを飲みながら1時間程過ごしました。石原君は借金を返すのに15年掛かったそうです。人のアドバイスを聞かなかった事,勢いだけで生きてきた事で,お金はもちろんの事,人生もすごく遠回りした事,借金を返す為に東京で働いている時にお父さんが亡くなった事,この20年間で無くしたものが大きすぎたと話していました。
石原君は来月11月末に結婚するそうです。彼は43才,今から第2の人生を歩もうとしています。私は簡単に書いて,石原君には壮絶な苦労をしているのに少し気が引けますが・・・。

石原君は私の噂を聞いていて,もうガンで5年前に死んだと聞いていたので,私と会えた事が神様が会わせて下さったと,涙をボロボロ流して喜んでくれました。ありがたいですねと石原君に言いました。そして世間の噂は恐いですね。私はまだまだ死なないですよ。必要とされている限り生き続けます。石原君とは携帯番号を交換して別れました。彼は実家に,私は屋久島に別れました。