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2011/07/27
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

今年の5月頃から体調不良の方が多く,内臓系の病気をされている人が多々おられて,それが逆にストレスになっています。
8月の13日から15日迄お盆で墓参りにふるさとに帰られる方が多いと思います。
ふるさとに帰れば,懐かしい友人,後輩,恩師そしてあなたの帰りを一番の楽しみに待っている親がいます。友人たちと懐かしい話をしたり,親交を深める楽しみも大切です。でも,半日でもよいですから親や兄弟と食事に行ってください。
親は思い出で生きるものです。あなたに優しい言葉を掛けられた事,お土産を貰った事,それだけで親はパワーアップして,体調の悪い時はあなたの事を思い出して元気になりますよ。それが親孝行なんですよ。おふくろに5000円でもあげれば,100万円貰ったくらい嬉しいのですよ。
もし親が亡くなっておられたら,親の好きだった食べ物をお供えしてください。あなたが悩んだ時,きっと陰から力を与えてくださいますよ。また帰る時には親の後姿を目に焼き付けて帰ってください。親はあなたに何かを訴えているはずです。

もし仕事でふるさとに帰れない時は電話をしてあげてください。

2011/07/20
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

今から29年前の話です。
私がテレビに出演させて頂いた時,お坊様がそのテレビを見ていらっしゃって,私を訪ねて来てくださいました。その時少女が川で溺れ死んでお通夜に行った時,その少女はひまわりの柄の浴衣を両親が着せていたそうです。そのまま次の日にお葬式があって,そのお坊様は火葬場迄行って,供養のお経をあげて少女を見送ったそうです。それから10日位後にお寺の中庭の小さな松の木に10日前に死んだ少女が着ていたひまわり柄の浴衣が掛かっていたそうです。
お坊様は亡くなった少女の家に電話して聞いたところ,その浴衣は少女が好きだったので,火葬した時に着せていったのでもう無いはずと言われたそうです。お坊様はその浴衣にお経をあげて火葬しました。
その1ヶ月後,井戸に落ちて亡くなった少女がいて,そのお葬式に行きましたら,その少女もひまわり柄の浴衣を着ていたそうです。そのお葬式が終わって,9月のお彼岸の中日(ちゅうにち)にまた,お寺の松の木にひまわり柄の浴衣が掛かっていたそうです。お坊様はそのひまわり柄の浴衣にお経をあげて供養していたら,背中の方から少女の声がして「お父さ~ん,お母さ~ん」と泣きながら呼んでいたそうです。お坊様は「まだその少女への供養が足らないんですね」と話されました。
「生きている子供の面倒をみるが,死んだ子供はほったらかしにされるんですね。死んだ仏様をもっと大切にして供養しないと自分もいつかはほったらかしにされるんですよ。」と言われました。

私はお盆の時期がくる度に,このお坊さんの話を思い出します。簡単に子供をおろして供養をしていない若い方たち,水子さんの成仏できずに泣いている姿を忘れないでください。

2011/07/15
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

私がお好み焼屋を始めて3年目の事です。その頃は森進一さんの「港町ブルース」が流行っていました。
当時は大島紬がブームで,私の住む鹿児島では紬工場がたくさんありました。その中でもひときわ大きな紬工場の女社長さんは私を可愛がってくださいまして,毎日5~8つのお好み焼を買いに来て頂きました。私もその女社長が大好きでした。御年は82才で頭がいつも低く,私よりも低く頭を下げる素敵な方でした。

ある時,お話をゆっくり伺う時間があって女社長が私に言いました。「あなたは何才ですか?」私は32才と答えますと「朝めしと昼めしは立って食べなさい。夜ご飯をゆっくり食べたかったら」と言われました。朝めしは20才代と30才代,何も考えずに失敗を恐れずに一生懸命働く。昼めしは40才代と50才代,今迄の失敗と成功を踏み台にして考えながら成功を目指して生きる。夜ご飯は60才以降,口だけは達者だけど体が思うように動かないので,ゆっくり考えて余計な事は言わず,良い人に囲まれて楽しく生きるように心掛けるよう教えて頂きました。私はこの言葉が好きです。

一度にいくつもの事を考えようとした時,良い判断ができなかったり,気持ちが動かないようなときは,私はまだ昼めしの時かなぁと考えて,考えながら生きるようにしています。私は壁にぶち当たった時,実年齢は夜ご飯ですが,自分の心を強く持つために昼めしの時だと思って生きています。早く夜ご飯をゆっくり食べる生き方がしたいです。

皆様は朝めしを座って食べていませんか?後返りのできない道を私たちは歩いています。いつもしまった!という失敗の少ない一日を積み重ねて行ってください。