私は大阪に住んでいた頃は,友だちの事を「おっさん」と呼び合っていました。大阪ではおじさんの事を「おっさん」と言います。鹿児島では奥さんの事をイントネーションは違いますが,やはり「おっさん」と言います。今年の初め,中山寺に修行に行った帰りに友だちと会う約束をしていまして尼崎で会いました。夕方6時に会って,二人で寿司を食べに行こうという事で寿司屋さんに行きました。友だちは私より3才年上で,75才。今は家の前の庭で自分たちが食べる野菜を作っているそうです。私たちはにぎり盛り合わせを頂きました。寿司屋さんを出たのが7時頃,普通だったら私はコーヒーでも飲みに行きます。おっさんは私にぜんざいの美味しい所があるから一緒に行こうと無理に誘いました。私は今,手記を書きながらニヤニヤ笑っています。手記を読んで頂いている皆様もウワーと思いませんか?夕方に腹いっぱい食べた後にぜんざいの甘いものを想像してください。私も皆様と同じで,お願いそれだけはやめて!と心で叫んでいました。
彼は若い頃から私に食事をおごってもらったら,必ずぜんざいでした。今回も私が食事をおごらせてもらったので,ぜんざいという拷問にあいました。昔から彼は奥さんにお小遣いをあまり持たせてもらえなくて,当時コーヒーより安かったぜんざいを若い私たちにおごり返してくれました。もちろん私は半分くらい食べると,気持ち悪くなりました。私とおっさんの二十歳の青春がここにあった事を再発見しました。若い頃,この友だちと食事に行くのは,ぜんざいを食べさせられるのが嫌でいつも逃げていました。今,50年ぶりにほろ苦い青春を経験しました。その当時はもうこのおっさんと食事には行かないと思ったのですが,おっさんは今,肝臓ガンになっているそうです。
私は神戸の宿泊先に帰る時,電車の中で考えていました。19才で知り合い,京都に夜桜を見に行きました。一緒にビアガーデンに行って肩を組んで歌った事,小豆島にガールハントに行った事,大阪で朝までうろついていた事,たくさんの思い出がこみ上げてきました。おっさんがいるからこんな経験ができるのは有難い事ですね。おっさんは毎日,朝と夕方に散歩をする事が日課だそうです。鹿児島から尼崎に出て来て,奥さんと家を頑張って建てました。おっさんは別れ際に言いました。「死ぬ寸前まで俺の人生は俺のものや。ガンに負けんように生きるわ」電車の中で1人で悲しくも頼もしい言葉を思い出していました。本当は嫌なんですが,このおっさんとあと何回食後のぜんざいを食べにいけるかな?と考えています。もう世の中で皆様のお役に立てない人間ですが,おっさんが言った死ぬ寸前まで俺は俺の時間やで・・・。私はおっさんが経験させてくれる食後のぜんざいを死ぬまで付き合ってあげるからねー。
私とおっさんは現実から逃げる事はもう無いと思います。いくら逃げても現実は追っかけてきます。若い人はよいですね。文句を言ったり,心の中で人のせいにできるから・・・。でも現実を受け入れたら心が前進して楽しく生きられますよ。