私が中学校を卒業して,初めて就職したのは大阪の吹田市にあるマホービンを作る会社でした。その時は向学心に燃えていましたから,夜間高校に通っていました。大伍ガラスという会社です。そこに石神常務というおじさんがいて,「長谷川君,6ヶ月は会社を辞めたらあかんで。頑張れや」同僚の東君と2人はとても可愛がってもらいました。
仕事は重いガラスを20cm位の所に運ぶという単純な作業でした。軍手は1日で破れるし,腰は痛いし,先輩のおじさんからは仕事が遅い!といつも怒鳴られていました。それから後に,軍手が破れて私はケガをしてしまいました。
1人で会社の風呂に入っている時に,石神常務の息子さんが入ってきて,頭や体を洗ってくれました。それを父に話すと,「1つ親切を受けたら,2つにして返すのが人間やで。お前も早く人に恩返しをせなあかんで・・・。」と言われました。

それから手の傷も治った頃,石神のお兄さんから,「長谷川君,今度の休みに京都に遊びに行こう」と誘いを受けて,電車に乗って京都に連れて行ってもらいました。石神のお兄さんは,立命館大学の学生でお金持ちの坊ちゃんでした。どこか思い出せないのですが,細い迷路の町屋を入って行って,高そうな料亭に連れて行ってもらいました。きれいな庭を見ながら,孟宗竹の上に乗った桜餅と苦い抹茶を飲ませてもらい,ひと時だけリッチな気持ちになった事を,昨日桜餅を頂いて食べながら思い出しました。
その半年後に私は会社を辞めました。辞める時,石神のお兄さんに挨拶もしないで,辞めた事はとてもつらいでした。再度,会社にお礼に行ったのですが,お兄さんは学校に行っていて会えなかったです。今だったら携帯電話があるのに,その時は家に電話もテレビも洗濯機も無かったです。

今は,食べ物はお金を出せば何でも手に入る世の中で,心の中はどんどん貧しくなっています。人から与えられても当たり前になっていますし,自己中心的な考えになっていて,感謝する心をどこかに忘れて生きている私がいます。桜餅を食べたらいつも石神のお兄さんを思い出します。
私は人様からたくさんの愛を受けてここまできました。思い出がたくさんある私は幸せです。