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2011/03/17
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

東北地方太平洋沖地震で被災なされました地域の皆様に心からお見舞い申し上げます。
私は18才の頃,目の前でお年寄りが電車にひかれるのを見て,この世の地獄を見たと思っておりました。それから神戸の震災でも私の知り合いが家の下敷きとなり,涙を流しながら亡くなった話等。
私はテレビを見ながらただ泣く事しかできませんでした。そんな時,アメリカのワイオミング州に住むジョンソン君から電話があり,「日本人は世界で一番逆境に強い人種で皆さんの心はとても強いから,今被害に遭われた方々は無くした物は大きいが立て直るのも早いので,一日も早い復活を祈ります。」と励ましの電話がありました。
今も心の痛手がある被災者の皆様に掛けて差し上げる言葉さえも出てきません。

先日,20才位の若者が街頭インタビューで「日本人として何も助けられない事がくやしい」,お年寄りは涙を流しながら「思うだけで何も役に立たない自分がつらい」と言われていました。私も何か励ましをと思うのですが,今何か言っても薄っぺらですぐ飛んで行くような気がして,家族を必死で探す子供さんの姿が浮かんで来て何も言えないのです。
昨年8月に書いたネパールから来ているデブラズ君はもう神戸で1000円見舞金をあげたそうです。デブ君の話によりますとネパール人も20名位行方不明になっているそうです。外国人の事は報道されていませんが,多数の方々が被災されている事でしょう。

早く水,ミルク,食料が皆様に行き届きますように・・・。
私はもっと考えてみます。世界の方々が心配されておられますように。
私にできる事を早く見つけて,皆様のお役に立てる事を精一杯やりたいと考えています。

どうか被災者の皆様が早くお元気になられますように心からお見舞い申し上げます。
東北地方の皆様,頑張ってください。

2011/03/07
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

この春ご結婚されました皆様、今からご結婚なされます皆様おめでとうございます。
先日、私はもう結婚して何年経つだろうかと考えましたら44年経っている事に驚きました。サイトを開いてくださる皆様は,な~んだ面白くないじゃないかと思われるかと思いますが,私の場合は皆様とはだいぶ違っている結婚を致しました。
昭和42年,私は兵庫県尼崎市に住んでいました。1月25日に用事があるのですぐに帰って来なさいと鹿児島の伯母から電話があり2月1日に帰って来ました。翌日2日にデートを城山公園と磯海岸で話をして,たった1日で婚約をする事に決めたのです。2月3日の話でした。内容は3月20日に結婚式を挙げて九州内を旅行しながら尼崎の家に帰り,3月24日入籍しました。初めて会ったのが2月1日,夫婦になれたのが3月24日,こんなスピード結婚ってあるのでしょうか?友だちからは,「すぐに別れるだろう」と言われたのですが,44年間仲良くやって来れました。
2年後長女を連れて,長男が生れたのをきっかけに鹿児島に帰って来ました。長女が小児ぜんそくになったからです。1回しか会わずに結婚をし,考え方の違いもたくさんありましたが,そんな時はいつも妻が私に考え方を合わせてくれたのです。

鹿児島に帰って1年後,今考えますと一番生活が苦しかったです。妻は5000円のテトロンの着物を着て,夜になると洗濯し,次の日にはまた同じ着物を着るという繰り返しでした。文句も言わず,明日こそ,明日こそと励まし合いながらつらさを乗り越え事ができました。
私は先輩から学んだのです。言ってもどうしようもない事を言うとお互い不愉快になるだけだからグッと我慢するんだよと・・・。私よりも妻の方が我慢していたと今考えております。
夫は妻に与える事を喜びと感じてください。妻は素直に喜んでください。
言葉だけ聞いて判断せず,今日言うとケンカになりますので明日言うようにしましょう。

お互い現実から逃げたらダメですよ。
いつまでもお幸せにね。