先月,私は一人で宝塚の近くにある中山寺にお参りに行った帰りに,まだ夕方5時だったので大阪梅田にぷらっと昔とは随分変わっている大阪見物に行きました。
来るたびに大阪は発展し続ける変わり様に驚いていました。梅田を歩いていますと,都はるみさんの「大阪しぐれ」という歌が聞こえてきました。私は名前も知らない大きなビルの入口に立って都はるみさんの歌に聞き入っていました。
今から36年前に伸一君と二人で,今日の日の様に梅田にいました。その頃「シマ」という喫茶店で伸一君と話した事を思い出しました。当時,伸一君は大学生で,将来どんな生き方をしてるんだろうね。自分の考え方を貫き通さないと駄目だよ的な話をしたのを覚えていました。それから36年経ちましたが,伸一君は立派な校長先生に現在なっています。
私と伸一君は37年間お付き合いが続いていまして色々な事があったのですが,良い関係が今であります。今考えれば私は伸一君の考え方が解らず,よく文句と説教をしてきました。どこかで自分を上手く出せない時は,彼は逆ギレをしたり,私に反発をしてきました。伸一君と私とは距離を上手く取りながらやってこれたのは彼が素直だったからだと思います。色々な人との出会いや別れがたくさんありました。
ある時,お金持ちの坊ちゃんが私の所に来まして,車は3台は持っている,彼女は4人いるという話をしました。彼は良一君(仮名)と言いました。
その当時から良一君は素直な性格なのに背伸びをする所があって,私からよく叱られていました。
私が叱ると良一君は「もうこんな所に二度と来ない」とふて腐れて帰る人でしたが,2日位経つと,「先生会いに来てもよいですか」と言ってまた会いに来る人でした。「俺は長谷川先生の事は大嫌いだ」と言いながら会いに来ていたのですが,確か5年位のお付き合いの後,良一君は突然来なくなりました。
良一君の親は会社を3社経営して鹿児島でも有名な社長の息子さんでした。服は東京まで買いに行く性格の良い青年でしたが,一度だけヘベレケに酔っぱらって来て,泣きながら話した事を今でもよく覚えております。お母さんは48才でガンで亡くなった事,弟は二度目のお母さんの子供で良一君の家庭での居場所が無い,本当は寂しい,女性といても心が落ち着かないと言いながら私の家で寝ていました。
それから随分と月日が流れたある夜,お腹が減りましたので一人で牛丼を食べに行った時,良一君はそのお店で働いていました。体は痩せて小さく,顔色も青白くなっていて昔の良一君ではなくなっていました。私は牛丼がノドを通らず三分の一食べたら腹いっぱいになりました。色々と良一君の事を知りたかったのですが,目と目を合わすだけで何も話せない,こんなつらい事はありませんでした。私が車で帰る時,良一君と別れて駐車場から店を見ますと,良一君は店の外に出てきて私をじっと見ていました。私は少し車で走ってからUターンして反対側から店を見ますと,良一君はタオルで目を拭いていました。泣いている様にも見えました。本当につらい夜でした。
若い人たちは自分を上手く出せないので結局流されて生きている人が多いです。そして約束を守れない人が多いので私は叱ります。若い人たちは私に言います。先生は親より怖いと・・・。違いますよ。人の話はよく聞きなさい。自分の感情をもっと抑えなさい。答えは今出さなくてもよいです。もっとゆっくり考えなさいと私は言いたいです。そうすれば今,世間で起きている事件等は起きないです。
また話は戻りますが,伸一君に言いたいです。もしも伸一君が私と出会ってなかったら今頃伸一君はどうなっていた事でしょうか?もう58才になっていますが,今度は多くの人から惜しまれて現役を退いて欲しいですね。そしてもう一度大阪に行きたいのです。36年前の大阪と今の大阪,伸一君の目にはどのように映るのでしょうか?とね。
良一君は一昨年55才で胃ガンで亡くなった事を聞きました。結婚もしないで一人で寂しく散っていったそうです。世の中何でもありです。でも人を悲しませたり,人を苦しめて生きてはいけません。自分のやった事は必ず自分に帰ってきますので・・・。