まだ私の気持ちの中では新年を迎えた気持ちになっておりません。
でも友だちやお客様に出会うと,おめでとう御座いますとか,今年も宜しくお願いしますと言われます。
正月に娘の孫たち2人姉妹が帰省して,朝早くから賑やかに家の中を走り回り落ち着かないのが正月だと思っておりました。昨年末に孫の妹の方がインフルエンザにかかり,娘と孫は鹿児島に帰って来ませんでした。
孫の姉の方は娘婿と帰って来たのですが,私の家に15分から20分位立ち寄って東京に帰って行きました。寂しくて寂しくて今でも私の心の中に穴が開いたままです。
皆様はどんな正月を迎えられたのでしょうか?孫たちは大きくなって子供夫婦だけで帰って来た話も聞きました。私たちの世代になりますと,身体が自由に動かず夫婦で寝正月をされた御夫婦もいらっしゃるようでした。昨年末の12月29日から毎年,屋久島に一泊で一年間の御礼参りに屋久神社にお参りに行きます。その時に神社の境内で都会から帰って来たと見られる小さな子供たちが走り回っているのを見ると心が落ち着きます。
私は小学校の低学年と見られる女の子に話しかけました。どこから帰って来たの?と聞きますと,その子供さんは大阪からと答えました。屋久島は楽しい?と聞きますと,楽しいと答えてくれました。私は小さな目の澄んだ子供たちと話すと嬉しくなります。しばらくは神社で遊んでいる子供たちを見ていると,ああ正月だなぁと考えたのですが,初めに書きましたように孫と会えなかったので寂しい寝正月でした。
正月の三が日を過ぎたころ私は本当に寝正月をしていまして,夕方頃でした。携帯電話が鳴るので出ましたら,2才年下の友だちでした。小さな声で長谷川君,元気ですか?俺はあの世からお迎えが来ているので先にあの世に行くからね。長谷川君はもう少し人助けをしてからあの世に来てやと病院のベッドから友だちの電話でした。私は7年前にガンの手術をした時,彼はしょっちゅう電話をくれました。私の為に泣いてくれて頑張れ,頑張れと励ましてくれました。その時彼は健康体でしたのに7年間の年月はこうも人生を変えてしまうだなぁと切ない気持ちになりました。私はいつもテレビを見てもすぐ泣くのですが友だちの事を考えますと悲し過ぎて涙が出なかったのです。こんな経験は両親が亡くなった時と同じでした。友だちは山口県の呉市で眠っています。本当に私より健康だった友だちが私より先に亡くなるとは今でも信じられないです。
以前にも書きましたが一日一生ですね。何もしなくても一日は過ぎ去ります。今年はできる限り一日の重さを感じながら生きたいと考え,そして忘れないように努力して参ります。