昨年の11月と12月は本当に忙しい日々を送りました。
私は鹿児島に帰って来まして今年で44年目です。今考えて見ますと色々な事がありましたが44年は早かったです。
若い頃は自分のやっている事は間違いないんだと人の言う事もあまり聞かずに自分の考えを通して生きてきました。その私が33才で知り合った大切な友人がいました。彼はケン古川と言って異なった宗教をしている宣教師でした。ケンさんは21才でハワイから伝道で来ていました。彼は私の家に来る時はいつも手作りのケーキやクッキーを作って持って来てくれました。ケンさんは宣教師で月に2万円で生活していて,自分の食べ物を節約して人に与える人でした。ケンさんは人の親切は受ける人ですが,人に与える事が好きで誰にでも愛を与える人でした。私はサラリーマンを辞めて,わがままな性格だったのです。とても優しくて神様の様な人でした。
彼は大分県に転勤して行ったので連絡は取り合っていました。ある時,娘と二人で大分県に会いに行きましたら,2ヶ月間耳パンを食べて,私と娘にお金を貯めてカツ丼を食べさせてくれたのです。それから彼は連絡の取れない所に転勤して,40年間会えずにいました。ずっとケンさんの心の大きさ,優しさを考えるたびに会いたいと考えていたのです。
ひょんな事から私は彼の住んでいるハワイの電話番号を調べましたら探し当てました。何回か電話しましたが,いつも留守番電話ばかりで,もう会う事ができないと諦めかけていました。そんな時,一郎君という友だちがハワイに仕事で行くという事だったので同行させてもらいました。私の心の中ではもう会えないと思いながら一郎君に付いて行きました。ハワイに着きましたら一郎君の友だちの健太郎君を紹介され,ケンさんの事を話したところ,健太郎君が連絡を取ってくれまして私に会わせていただきました。実はハワイに行く目的がもう1つありました。仲の良かった友人が私の心臓とガンの病気を心配して励ましてもらったのですが,昨年夏に肺ガンで亡くなり気落ちしていました。自分の仕事の引き際を考えに行くつもりでした。
ケンさんと会って私たちは5人で行ったのですが,自分は食事をしないで私たち5人をディナ-ショ-に招待したのです。大変なお金を使わせました。ケンさんは,自分はお腹いっぱいなので行かないと言ったのです。後で聞きましたらケンさんは何も食べてないと言いました。こんな世の中で自分は食べずに見も知らない人たちに食事を招待する良い人とは今まで会った事はありませんでした。自分を犠牲にしてまで私と友だちのために尽くしてくれる人はいないです。その他いっぱいの親切と愛をくださる人はいません。たくさんの日本の友だちが亡くなって意気消沈している私は何と甘い人間なのかと考えました。
もうしばらく皆さんに助けられ,そして微力ながら皆さんのお役に立てる様に頑張ります。
何事も起きない一日が幸せな一日なんですね。