良平君(仮名)は39才熊本県出身です。
彼は鹿児島大学に行っていましたが,今の自分をもっと変えたいと言って,2年生の時に鹿児島大学を辞めて福岡の予備校に1年間通い、次の年に京都の一流大学に行きました。
私は鹿児島大学に入学した年にスーパーでアルバイトをしている良平君と仲良くなり,夜中にアルバイトを終えて帰って行く良平君と話をするようになりました。鹿児島は天然温泉が市内に200ヶ所くらいあります。私も良平君も温泉が大好きで,時間が取れると2人で温泉めぐりをしていました。
良平君は京都の大学に行っても2,3ヶ月に1度は大阪で会って食事をしたり,夜の大阪をブラブラ遊んでいたのです。彼は一流の大学に行っていても奢ることなく,気さくな性格の人で,私はとても好意的に付き合ってもらっていました。
親孝行で親には心配を掛けない。自分の事は自分で何でもやる面白い人でした。大学を5年かけて卒業して就職せず,1年間は土方をして100万円貯めてアジア,中東,アフリカを回っていたそうです。
1月に熊本から良平君のお母さんが私の所に来られて,「私の家族は主人と長女,良平,私と4人家族です。良平のバカヤローは今,ガンになって福岡の病院に入院しています」と言われ,良平君がいつも私の事を話していて,私がガンを克服したので自分もガンが治れば私に会いに行くと言っているそうです。お母さんは豪快な方で65~67才くらいに見えます。大きな目から涙を流され,拭おうともせずに泣きながら,「あの息子は親に全く苦労をかけてくれなかった」とガハハと笑っておられたのです。
良平君は頭がよいのに,アルバイトは体を使う肉体労働ばかりする変わった人でした。若い時は体を使い,年老いた時は頭を使って生きるという良平君です。一緒に温泉に行っても私の背中を流してくれる優しい人です。私が6年前にガンを患った時,インドに行ってガンジス河で水行をして祈ってくれました。彼のお父さんが糖尿病になった時はオーストラリアの木の上で3日間祈ったそうです。私がやりたいと考えそうな事を良平君は次々とやる,羨ましい人なんです。
福岡の病院を聞いてもお母さんは教えてくれませんでした。私はお医者様の友だちがいますので調べれば分かると思いますが,調べないでいる愛もあると考えます。今年の夏くらいには,ひょっこり私の家に来る人だと信じています。とんでもない自由人の良平君のお母さんも豪快な人でした。私はつらくてお母さんの心をどれくらい理解できているでしょうか?
私は最近,心が痛くて気合が入っていません。1人でガンと闘っている良平君の姿が浮かびます。御両親の気持ちを分かろうとすれば私は泣いています。親の近くで治療をしない良平君を考えると,私は少し分かります。良平君が病気快気すれば,また1人でさすらいの旅に出ることでしょう。
私の体がもっと軽くて自由に動けば,私もさすらい人になって妻や子供たちをハラハラさせることでしょう。
元気になったら南の島にいきなさい。良平君はこのコラムを読んでいるはずです。皆様にも訴えたいです。人の言う事はよく聞きなさい。後に返れない人生ですからね。