私の携帯電話に3回続けて修君から電話の着信がありました。私は気が付かなかったので,夜電話したところ,修君は鹿児島に帰って来ているという事で,次の日に仕事場(マンション)で会いました。ゴールデンウィークは仕事をしていて,10日過ぎに帰って来たとの事でした。修君は29才,彼女がいて今年10月頃に結婚が決まって幸せの真っ只中にいると思っていました。私と会って開口一番,母が肝臓ガンで余命9ヶ月と言われ,幸せだった自分の人生が真っ暗になりましたと切り出したのです。
私が修君と知り合ったのが10年前で,高校を卒業する時に友だちと健康祈願に来た時でした。修君と別れる時に,私が言った言葉は「自分の言った言葉には責任を持つんだよ。少しの事でキレたらいかんよ」この言葉が修君の頭に残っていて,私には3ヶ月くらいに1度,電話が掛かってきていました。あの元気な母ちゃんがガンになるなんて信じられない。何も心の準備ができていないから今,何も考えられない。この話はお姉さんから聞いて,母ちゃんはまだ何も知らないとの事です。
名古屋でつらい事があっても泣いた事は一度もなかったし,田舎で母ちゃんも頑張っているから僕も頑張らんと。母ちゃんが心の支えだったそうです。修君は4日間の休みで帰省しているそうで,帰って来た夜は暗い田んぼのあぜ道を懐中電灯で1人泣きながら時間が解らないくらいさ迷い歩いたそうです。修君は私に「母ちゃんが元気になるように,長生きできるように拝んでください」と言いました。いつか人間は死ぬのだけれど,突然にこんな話がくると,悲しくてつらいですね。自分は今迄何をして生きてきたのだろう。母ちゃんに何をしてあげたんだろう。父ちゃんは20年前に死んだのだけど,母ちゃんを今助けてくれているのだろうか?つぶやく様に私に話していました。母ちゃんは夜8時頃に寝るんだけれど,僕が友だちに会って夜12時頃に帰ると,起きて待っていてくれる母の愛が,来年の今頃は母ちゃんのこの愛がもう無いのかと考えると心が折れそうになるとも言っています。私も両親が他界していますので修君の気持ちを考えるとつらく悲しいです。もう2時間半くらい話したでしょうか。私の気持ちの中ではお母さんが修君の帰りを待っているはずですから,11時頃になりましたから早く帰りなさいと帰しました。修君は帰る時に私に聞きました。「今,僕は母ちゃんに何をしてあげたら良いですか?」私は自分の経験から,少しでも母ちゃんと一緒にいる時間を作ってください。修君と母ちゃんの一生の思い出ですからと言いました。修君,私のコラムを読んだら実行してください。子供と親の心はいつもつながっています。修君が母ちゃんの事を考えたら,母ちゃんも修君も事を考えていますよ。親はいつも子供には無償の愛があります。永遠に・・・。
いつでもつらい時は泣きにおいで,私のところへ。でも気合を入れるんだよ!私は3ヶ月の寿命と言われていましたけど5年間頑張りました。修君のお母さんもきっと頑張るはずです。私の小さなパワーをお母さんに送ります。読者の皆様,すみません。私もつらいので変な文章になりました。皆様もいつ何が起きるかわかりません。覚悟して生きるんですよ。

※いつ何が起きてもおかしくないのです。この手記を読まれて解っていただきたいと先生が言われていらっしゃいました。しばらくこの手記を続けさせて頂きます。