黄(コウ)君とは9月23日の台湾の帰りに,羽田空港で飛行機の乗り継ぎの時に待合室で出会いました。私は鹿児島へ帰る時,黄君は初めての日本で,秋田県に仕事の出張で行く時でした。期間は1ヶ月の出張でした。
時間は1時間くらい話をして,別れる時にまた会いましょうと別れました。何故か黄君とは7回くらい電話で連絡を取っただけでしたが,私は11月9日から13日迄台湾の神社,お寺に御参りに行きたくて連絡を取りますと,黄君は中国の深圳(シンセン)に出張で行っておりましたが,私の行く前日に上司にお願いして,私と会うために台湾に帰って来ました。普通に皆様は1回くらいしか会った事のない私の為に中国から台湾に帰ってきてくれるでしょうか?

台湾に着いた日,私はいつもマイペースで,近くの夜市(日本のお祭りの時にお店がたくさん出る所)に遊びに行っていました。
その時も私の体調を心配して,松﨑君が一緒に同行してくれました。松﨑君は仕事がすごく忙しいようでしたが,お世話になっている私の事を優先して何事もやってくれています。大感謝です。
夜市は台湾の人たちが仕事の帰りに来て,食事をして帰ったりもします。夜市を回っている時,黄君から電話がありまして,明日,黄君の両親が私に会いたいがっているので来て頂けないか?と言ってきました。答えは即OKです。いつも観光で色々な国に行きますが,現地の生活を見る事は,私にとって魅力的でした。
次の日,台湾の中くらいの所にある台中の彰化(ショウカ)という少し田舎のような素朴な所に連れて行ってもらい,大変有難い歓迎を受けました。お父さん,お母さん,黄君のお姉さん,1人1人からお土産を頂きました。皆さん1人ずつからお土産を頂いたのは初めてでびっくりしました。食事の時間だったので大変おいしい食事をごちそうになる事は,私の一番うれしい事です。ましてや知らない御家族と・・・。台中の彰化にはあまり日本人がいないので,黄家の方たちは初めて日本人と近くで話されたそうです。私はニイハオ,シェイシェイしか言えなかったですが,感じた事は,私の知る限り台湾の人たちは親日家が多くて,日本人にはとても親切な方が多いです。
昼食後,黄君は日月譚という名所に連れて行ってくれました。黄君は自分が疲れているのに疲れた様子は全く見せなかったです。日本人の私たちと知り合いになれた縁を大切にしてくれまして,ますます台湾が好きになっています。台中から台北に帰る時,高速道路を走っていたら前を走っている車同士が「バーン」とボディ-をぶつけました。それも2回です。日本ならば大変な事ですが,車は何もないように走り去りました。黄君に聞くと,「台湾ではこんな事はありますよ」という返事。私は怖い経験をしました。その夜市に行きましたが,その帰りに黄君の今年買ったばかりの新車に単車が当たりました。私の横です。本当に怖いです。私は車を止めて話をしなさいと言うと,黄君は「いいですよ。相手は子供なので弁償能力が無いから」と言います。信じられない事ばかり・・・。その夜は3人でホテルに泊まり,「最後の日はもう会えないね」と言って別れました。
夜に電話がきて「お父さん今どこにいますか?」私は「街に来て買い物をしているよ」と言うと,「僕は近くに来ているよ」との事。又びっくりしました。

黄君は最後の最後まで私と松﨑君に愛をくれました。もう時間的に無理なのに・・・。でも会いに時間を掛けて来てくれました。目をウルウルさせながら,黄君は「帰って仕事があります」と夜中に帰りました。始めから最後迄親切だった黄君,ありがとう。私も黄君から学びました。「精一杯」をね。