6月17日は何の日でしょう?どこの誰かが作ったのかは知りませんが,父の日だそうですね。
私は父が生前の時,父を大切にしていました。父に何をしても,どんなに父に好かれようとしても,いつも母に文句を言っている人でした。
頭の中にはいつも父の顔がありまして,どうしたら父が喜ぶのか?考えているうちに面倒くさくなっていました。
それから間もなく,父は肺ガンの末期だと病院で言われて,車で家から1時間位かかる所に入院しました。父はあと半年の命と言われましたので,私は毎日,見舞いに通うようにしました。
毎日決まった時間に病院に行きますと,父は病院の外に出て私を待っていました。それは私と二人で,タバコが吸えるからでした。
今までは「ありがとう」しか言わなかった父が,だんだん心を開いて「ありがとう。気を付けて帰りな!」と言ってくれるようになりました。
ある時は,長谷川家の先祖はな。武田信玄の家来で,歩兵でも上の方やったんやで!とか。俺の祖父は歌舞伎役者で,嵐又之助という名で芸事をしとったんや。わしのおやじは漁師やったとか。今まで聞いた事もない話を聞かせてくれました。

父はだんだんガンが転移して,腰の骨が半分以下に崩れていました。歩く事がつらそうでした。3月24日に入院して2ヶ月が経っていました。私は父が6ヶ月持たないような気がしてきました。6月12日の夜,大雨が降っていて嫌な予感がしていましたので,私は父の体を全部拭いてやりました。これが父との最期でした。
父は最後に,「ニューギニアにあるラバウルに行ってみたら?」と言いました。「あそこはなぁ,俺が空軍の偵察隊にいた頃,住んでた所で,現地の人たちはとっても情け深い人たちやったから,お前もお金を貯めて行ってみたら?」と言いながら息を引き取りました。6月13日です。たった二人だけの楽しくて,切ない時間でした。
私はいつも父を思い出す時,それが父の日です。昭和55年の話です。