今から30年前,私が40才の誕生日に,アメリカ人のグレイソン君がアメリカのユタ州に帰る前に,私に挨拶に来ました。当時,私はお好み焼屋をしていまして,昼はお店に出ていました。毎週月曜日はプライベートの日で,お好み焼を食べによく来ていました。
彼等はモルモン教という教会で宣教師をしていまして,私との言葉のキャッチボールが楽しくて,お好み焼を食べにいつも数人で来て,ワイワイやっていました。
彼等の食べるお好み焼は,ソースを塗らずにマヨネーズ,マスタード,ケチャップ,お好み焼の中にはチーズを小さく切って焼いていました。中でもグレイソン君は焼そばも大好きでした。たった3ヶ月間のお付き合いでしたが,今でも思い出に残っているベストフレンドです。
これを読んでくださっている皆様,あの有名なカントリーロードを歌っている金髪で,メガネを掛けてすごく真面目なジョンデンバーにそっくりな人です。

彼等は日本に来て,皆さんに伝道して,信者さんに導く修行をしていました。私も自分で修行をしている事を彼等に話しますと,「長谷川さんはたくさんの人に親切にして優しい人ですから,僕はあなたに憧れています」と言ってくれました。私は何て心の広い人たちなんだろうといつも彼等に会うのを楽しみにしていました。そのグレイソン君が私のお店に来まして,「アメリカに1週間後に帰ります。あなたの事は忘れません」と言って,彼は高校卒業した時に,両親から記念に買って貰った銀のリングをくれました。
”I have gone but my heart stays here” 私はアメリカに帰りますが,心はここに置いて行きますと言って頂いた大切なリングだったのです。
私はジェムストンボックスに入れて大切に持っていました。昨年6月22日の明け方に,隣から出火して,私のお好み焼屋も燃えてしまいました。私はグレイソン君の当時の気持ちを考えると心は痛いです。今,手記を書いていて連絡が取れるならば,謝りにアメリカに行きたいです。グレイソン君,本当にごめんなさいね。
今,大阪に行けば,ケビン君と時々会って話をします。ケビン君に話しましたら,「愛する人がくれた物は,心の中にあればよいでしょう」と言ってくれましたが,私は心が痛いです。グレイソン君の家は貧乏で,アメリカに帰ったら一生懸命働いて,両親を喜ばせますと言って帰った言葉が今も忘れられません。
彼は日本人のような情緒のある人だったので,今,アメリカでたくさんの家族に囲まれて幸福な生活を送っていると信じています。私は右手に銀のリングを一時も離さずしています。このリングは外国で買って来ました。グレイソン君,絶対にどこかで会いましょうね。私は日本人の友だちや色々な外国人とふれ合いながら生きてきました。

4月のガン検査で引っ掛かりました。7月にまた再検査です。でも,まだまだ頑張ります。皆様が私を必要としてくだされば,まだ死ぬ訳にはいきません。ガンよ,どこからでも来い!という心境で,毎日を生きています。
皆様も頑張っていますか?今,頑張らんと何時頑張るのんや!