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2012/02/16
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

2月の3日,4日は節分祭(厄払い)と言いまして,今年の厄になる人たちがたくさん来られました。その中で,私は忘れる事ができない方が来られまして,うれしいでした。

私が5年前にガンの病をした時に吉田(仮名)という方が来られまして,その方は鹿児島と宮崎県の県境に住んでおられる方でした。吉田さんは,鹿児島や宮崎の神様に拝みに行かれたそうですが,たくさんのお金を使われた方でした。
ご主人が病気ばかりしていて,先祖のタタリだと言われて大変困っておられましたが,結局はガンで亡くなられました。
それから1年後,吉田さんもガンになり,私の所に来た時は時すでに遅しで,子宮ガンの末期でした。吉田さんは余命2ヶ月と言われたのですが,1年数ヶ月生きられました。
4回目位だったと思いますが,御布施(お礼金)を2枚出されました。私は気付かなかったのですが,後でお布施の袋を見ましたら,1枚の袋には早くガンが治りますようにと書いてありましたが,もう1枚の袋には長谷川先生のガンが早く治りますようにと書いてありました。私は吉田さんの心の温かさに泣きました。それ以来,大阪の中山寺や屋久島の屋久神社に行く度に,必ず吉田さんが成仏されますようにと5年間供養を続けてきました。

大変な世の中で,自分の事だけでも精一杯なのに,まだまだ修行が足らない私を信じてくれまして,大切なお金を私のために使われた吉田さん。私は吉田さんの事をずーと供養していきますね。息子さん,娘さんのご家族は見守っていきます。

相手の気持ちを考えて自分の事を後回しにして生きていらっしゃる方は素晴らしい人生を送れますように。

2012/02/09
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

先日,書店に行きました。何気なくパラパラと,男性ファッション誌を見ていましたら,6年前迄,大阪に行った時,お互いに時間がある時に会って食事をする若者でした。彼はモデルをしています。名前は聖太君と言って,とてもカッコ良くて優しい人でした。彼はJR新大阪駅の近くに住んでいまして,長野県出身でした。
いつも会った時はお互いがお酒が飲めないので,静かなホテルのロビーある喫茶店で他愛ない話をして別れていました。でも,今は全国紙に載るくらい有名になった事がうれしくて,しばらくはファッション誌を見て,聖太君と話した事が走馬灯のように思い出しました。
聖太君のマンションに泊めて頂いた時,初めて彼の苦労話を聞きました。一流になる迄は、イエスマンになってどんな事でも受け入れないといけない事や,仕事に行った時,キッカリに行ったら叱られて仕事をもらえないで帰された事,サイパンにロケに行った時に女性のプロデューサーから体を求められて断ったら二度と仕事がこなかった事,先輩モデルからタバコで髪の毛を焼かれた事等,聖太君は大変な世界を上手に泳いでいたから,今があるんだと考えている私がいました。うれしいひと時でした。

私の子供の中に鹿児島出身でモデルを目指している原田秀人という子供がいます。ハンサムで優しい人ですが,人が良過ぎて出世の道を同僚にどうぞと譲っているのでは?と思っています。私だったら私が先に出世して,その後に同僚を引き上げていきますね。30歳までに有名にならなかったら鹿児島に帰っておいで,滝行して気合いを入れてあげるから。
毎日,私のサイトを見てくれるのがわかりますよ!聖太君のように目標を見失わないで頑張って欲しいですね。私も16歳から1年歌手をしていました。17歳でモデルもしていたので,秀人の気持ちは少し解ります。
私がガンになってからも,強く生きようとしている気持ちも解って欲しいよ!今日も元気で朝を迎えられた事に感謝しています。私のメッセージが届かないと思いますが,私は君の隠れファンです。「目標を見失わない」,「不平不満を言わない」と言っていた言葉を今でも信じています。

私から叱られて離れていった,有名人になって活躍している子供たち,不平不満を言ったら人生終わりですよ!海外は大変ですよ。サブロー君はロッテに帰って来ましたね。
また,会える日を楽しみにしていますよ。