過去の投稿

あなたは現在 2012年11月 の投稿をご覧頂いています。
2012/11/19
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

今日は久し振りの休みです。昼過ぎに目を覚まし,食事を終えてから私の家の狭いベランダに腰を掛けて,青い空にゆっくり雲が流れていくのをボーと見ていましたら,小学3年生の頃を思い出しました。
授業が終わったら,私たちは学校の4階にある科学室に走って行き,そこに秀才と言われるお兄さんに,手のひらに○印を書いてもらいました。そのお兄さんは,兵庫県で運動は日本一と言われるお兄さんで名前は憶えていません。そのお兄さんはいつも1人,科学室で勉強をしている,学校が誇り高き人でした。私たちは優しいお兄さんから○印をしてもらい,今日も頑張ったねと言われるのが嬉しかったのです。私は○印をしてもらうと成績が上がるというジンクスを信じて一生懸命勉強をして,3年生の3学期にはクラスで一番になり,4年生,5年生はいつもトップにいました。
ある時,町の銭湯に行きましたら,そのお兄さんと会いました。少しの時間だったのですが,「お兄さんは何で頭が良いのですか?」と聞いたところ,「俺は母さんが死んで,おじいさんとおばあさんの所にもらわれてきて,ひとりぼっちだよ。夜は1人で勉強ばかりしている。人間はひとりぼっちで淋しいから人に優しくする。俺は将来医者になる。貧乏は嫌だから金持ちになる。」という話をして頂きました。その時はただ漠然と聞いていました。それから10年後,私が19才の時に鼻の手術をする為に県立尼崎病院に入院しました。そのお兄さんは医者が着る白衣を着て歩いていました。私たちは挨拶を交わしたのですが,お兄さんは私の事を忘れているようでした。

私たちの人生は10年経てば色々な事があって,新しいものを受け入れる程,古いものは忘れてしまいますね。私も10年前をさかのぼると,目的を見失いそうになったり,世の中の流れに流されそうになったり,嫌な事から逃げ出しそうになりました。今でも私を見ていてくれる優しい人たちや,いつでも助けてくれる人がたくさんいますので,私は現実から逃げた事はありません。昔はワガママだと先輩から叱られました。お兄さんの10年は,ひとりぼっちで相当つらかった事かもしれません。私は今,考えると,このお兄さんの後姿を追っかけているかもしれません。70年間生かさせてもらうと,人生の師はたくさんいます。
1時間近くベランダで,ボーと青空を見ながらひなたぼっこをする私は幸せで有意義なひと時でした。また頑張るぞー。

2012/11/11
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

私が今,住んでいる家は父が30年前に建てた家です。
先日は,女房から雨漏りがするので,何とかして欲しいという申し入れがあったのですが,私の腰がなかなか上がりませんでした。申し入れが文句に変わり,妻が怒って,「いいかげんにしてよ!」と言われました。
私の周りには,松﨑君,上福元君という優秀な職人さんがいまして,台風11号が発生して,慌てて依頼しましたら1週間で仕上げてくれました。若い人はする事が早くて頼もしい限りです。

綺麗に仕上がった屋根を見て父を思い出しました。上棟式の時,絶対歌を歌わなかった父が歌いながら涙を流し,ナツメロを歌ったのです。頑固で私には暴力的で感謝すらしない父が涙を流しながら今,私の前で泣いています。カルチャーショックです。私は何も言えず,手拍子も叩かずに黙って下を向いていました。
若い頃の父は,女性にモテて家にあまり帰って来ませんでした。その時の母は父に何も言わず,父が帰って来たら,「お帰りなさい。食事はどうする?」と父に文句を言わない母でした。父は母の根性が有るのが,逆に嫌だったらしく,夫婦の意地の張り合いを毎日しているようでした。
父が60才の時,私に電話があり,気分が悪くて熱が下がらないので,病院に連れて行って欲しいと言われました。次の日に病院に一緒に行ったところ,肺ガンの末期と言われ,私は観音様に祈るばかりでした。入院して1ヶ月半,ガンを抑える薬が効かず,私の手首くらいあった脊髄が崩れていて,小指くらいにまでなっていました。お医者様は,あと1ヶ月の命ですと宣告したのですが,父はもう一人で寝起きが出来なくなって苦しそうでした。担当医は,「骨が崩れないように1本1万円の注射を打ちますか?それプラス1本3万円の注射を打てば,骨の崩れは止まります」と言われ,母に相談しました。毎月70万円の治療費を,母は最後だからしてあげたいと快諾したので,父は2ヶ月あまり長生きしてくれました。

6月半ば,父の死の前日は大雨が降っていました。私が一人で父に24時間付き添っていた時,父は私に身体を全部拭いて欲しいと夜中に言い出したので,私は父の望み通りに身体を拭きますと,苦しそうな父は,にっこり笑って「ありがとう。気持ちがええわ」と入院中に初めて笑ったのです。それからスヤスヤと寝て,早朝に母が病院に来て1時間くらい経った時,タバコが吸いたいと言い出しました。お医者様に聞いたところ,「あと数時間で死ぬので,病院のベットでタバコを吸わせて良いですよ」と言われ,タバコを2服くらい吸って消した後,父が10分後に亡くなりました。
死ぬ直前,私に手を握ってくれと言い,父は私の手を握ったまま自分の父母に会いに行きました。父の笑顔,父の手の温もりを忘れたくないです。家族を泣かせた子供のような父。
今,会えたら「お父ちゃん,あんたの人生は幸せだった?」と聞きたいです。