いつも私のサイトを開いて頂き有り難うございます。
最近はたくさんの方たちがサイトを開いてくださいますので嬉しく思うのと,ヘマは出来ないと慎重になって2日前からなかなかペンが進みません。今は朝の4時です。やっとプレッシャーをかけながら書いております。今後とも宜しくお願い致します。
10月8日,私は松﨑君と元町を歩いていましたら「パパ,パパ」と2回誰かが私を呼んでいました。私は気付かずに歩いていますと,松﨑君が先生,外国人の人が先生と呼んでいますよとの由。振り返るとベトナム人のタン君でした。そういえば,4年くらい会っていなかったです。タン君は三宮の地下街でベトナム料理店を10年開いています。彼はたどたどしい日本語(結構上手でした)でお客様を一人一人大切にして頑張っていました。タン君を見ていると,私の足りないものをいっぱい持っていまして,笑顔を絶やさない人です。私が入店しますとパパは特別に優しい人だからと言って,いつも特別席に案内してくれました。でも私はパクチが苦手なので食事の後,気持ちが悪くなります。
ガンの手術が終わって2年後にベトナムのホーチミンに妻と松﨑君,三重君と行きました。私の快気祝いだったそうです。ベトナムでもホテルのみそ汁にパクチが入っていて,少しきつかったです。ベトナムの記州という日本料理店で食べた幕の内定食が今でも美味しかった事を憶えております。
話は元に戻りますが,タン君と一緒にハノイへ一緒に行く約束をして,まだ約束を果たしていません。9日の日にタン君の店に4年振りに行きましたが,タン君の店は大繁盛でした。三宮の地下街では土,日曜日以外はお客様はあまり来ないそうです。でもタン君のお店はいっぱいお客様が入っています。お客の6組くらいは旅行カバンを持った人がわざわざ食べに来ていました。4年経った今でもタン君は「パパ,パパ」と言って帰るまで私の横にいてくれました。金髪の外人やアジア人や国際色豊かな店です。来年の3月くらいに一緒にハノイに行くかもしれません。39才のタン君はハノイに大きな家と土地を買ったそうです。10年前のハノイは仕事が無く,タン君は裸一貫で神戸に来たそうです。10年間でハノイに財を成し遂げた人です。色々と苦労した人です。
タン君は,「つらい時,苦しい時は修行していると考えて頑張りました。パパと知り合えた事は財産ですと・・・」言いました。有り難い事です。心から感謝しています。
最近は寒くなると心臓が苦しくなります。今,弱音を吐いてしまいました。でも私は仕事がきついとか,つらいとか,給料が安いとか,時間が無いとかそういう類の言い訳は絶対にしません。もし,そんな事を考えたら一つ一つ改善していきます。自分の考え方が足りない!視野が狭いから!能力が無いからでないでしょうか。悩んでばかりいないでチャレンジしてみては!だんだん年老いて体が動かなくなったら後悔するでしょう。何事も感謝する事から始まります。12月にタン君に会いに行きます。彼からもパワーを貰って来ます。