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2014/06/05
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

先生お元気ですか?久し振りですと愛ちゃんが11年ぶりに会いに来ました。
彼女は自分の望む高校に合格しませんでした。あんまりその高校に行きたくないと,駄々をこねて入学してから1ヶ月半で不登校になり,お母さんと相談に来たのが初めての出会いでした。
愛ちゃんは母子2人で暮らしていて,お母さんは生活する為,朝晩働いて頑張っていました。「愛ちゃんになぜ高校に行かないの?」と聞きましたら「友だちは皆ケイタイを持っているのに,お母さんがケイタイを買ってくれないから恥ずかしいので学校に行きたくない」という理由でした。「じゃあ携帯電話があれば学校に行くの?」と聞けば,「絶対に行く」と言いましたので私のポケットマネーで買ってあげました。
可愛い愛ちゃんは夏休みまでバスケット部に入って頑張っていたのですが,先輩からのいじめに合って1年生のまま退学したそうです。それ以降,愛ちゃんは苦労したそうです。
今は28才で可愛い女の子の母です。今年の11月に2人目の赤ちゃんが生れるそうです。彼女はその当時,思考力が無くて毎日フラフラしてお母さんをだいぶ泣かせて苦労をかけた事を話していました。今は主人も優しくて幸せだと笑顔で話しています。
若い時は先を考える力も無く,大きな会社に入社しようとしても学歴が無いのでアルバイトで生活をしていました。彼女は若い頃は先の事を考えず,その日その日を楽しく生きていれば良い,親よりも友だちの方が大切だったそうです。子供を生んでからお金の大切さが解り,寒い日に子供に服を買ってやれない時は心が痛かったと話していました。11月に2人目が生れたらどうしようと心配しています。人並みに子供に服を買ってやれるのかすごく心配です。「16才の時,先生に買ってもらった携帯電話を今も大切に保管してあって,そのケイタイを見る度に先生の事を思い出して勇気が出ます。苦しい時はケイタイを見て元気になると言いました。私も将来,頑張って働いて長谷川先生にお返しをします。もう少し待ってください」と言って帰りました。
その携帯電話は愛ちゃんにとって,とても大切なお守りなんですね。「11月に2人目が生れたらどうしよう」この言葉が今でも頭から離れません。私たちは皆,先がどうなるか解りません。今日は良かったと言って喜ぶ事も大切ですが,私は今日も良い一日でありました。今日よりも明日は,もっと元気で頑張りますと手を合わせて神様に御礼を言います。毎日愚痴を言いながら生きていては自分が一歩前に進まない事を知っているからです。
このブログを愛ちゃんはたぶん読まないと思います。でもいつの日か陰で愛ちゃんの事を思っている私がいる事を解ってくれれば私は本望です。

2014/05/18
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

私は3月末に屋久島に修行に行きました。私が屋久島に行きますと,皆さんから晴れ男と言われています。昨日までずっと雨だったのですが,先生が来られると晴れてきましたね。と言われました。
その頃はツワブキがたくさん生えていて,ツワブキを食べると体の毒を下すと言われてよく食べられています。私も妻もツワブキが好きで,時間があれば取って来て妻が柔らかく煮付けにして食卓に出してくれます。
屋久島の知人に,ツワブキを取りに行くと話しますと,「ダメだよ。山に入らない方が良い」と反対されました。草むらにはダニがいて,もし噛まれると発熱して入院するくらい熱が出るので行かないように言われました。そういえば,テレビでもダニに噛まれて死亡された方もおられたようです。
昨年6月,国分で食堂を経営されている知り合いの方が,お店に飾ろうと草花を取って帰って来られて,その夜から38度の高熱を出されて9月まで3ヵ月入院されました。原因はツツガムシに噛まれ,急性肝炎で苦しんだという話を思い出しました。テレビで先日放映されましたが,今年は蛾やカメムシが異常発生すると言っていましたが,これから野外活動の季節です。皆様どうか山に入られる時はダニや害虫に気を付けてください。最悪の場合,命を落とす事になりかねないですよ。話は戻りますが,レンタカー屋さんから次の日にたくさんのツワブキを頂いて帰りました。美味しく頂きました。
鹿児島に帰って来てお年寄りの方が言いました。「昔は山火事にならないように野焼きと言って雑草を焼いている時は,虫に噛まれて入院したとか,死んだとかそんな話は聞かなかったけど。消防法とか色々うるさくなってきているので害虫や雑菌が人を襲ってくるんやなー」と独り言とも取れる言葉で話されているのが印象に残っています。観光地の奈良の若草山は毎年1月の第4週目に山焼きをしました。今年は1月25日に山焼きがありました。春を呼ぶ風物詩として・・・。奈良の鹿に害虫が付かないそうです。

2014/05/05
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

昨年はコラムを書くのが楽しみで何時もストックが1ヶ月分はありました。
今年はコラムを書かなければならないという思いが,いつも頭の中にあってもなかなか気持ちが前に進みません。
先日も励ましの電話があって,子供と楽しみにしていますという,私にはプレッシャーのかかる毎日を送っています。
皆様はお元気で過ごされておられますか?本当に皆様の励ましがあって私は生かされている事を感じながら頑張っています。
今年の正月早々より風邪を引きまして,1月はずっと体調不良で苦しみました。2月は不眠に悩まされ,1月に3時間くらいの睡眠で体のあちこちが痛みました。1週間毎に友人の訃報や病気の連絡があり,心から楽しい,嬉しいと感じながら生活していませんでした。昨年に18才の友人が出来ました。彼はおばあちゃんと二人で暮らしています。彼は高校3年生だったのですが,高校1年で高校を中退してグダグタ生きていました。引きこもりを2年間している時に私と知り合いました。彼は私に3つの約束をしました。
① 自分が面白くなかったらおばあちゃんに当たり散らさない様に
② 大学に行くために1日5時間は勉強をする事
③ 人に頼りすぎずに自分で自分を変える様に努力をする事
その他まだまだ小さな約束がしてあったと思います。
ある日,彼のおばあちゃんから丁重な手紙が来ました。長谷川先生のお陰でとても優しくなりました。家の手伝いをしてくれて家の中で暴れなくなって家の掃除までしてくれる様になりましたとお菓子と一緒に手紙が来ました。
子供の事で困ったお母さんが相談に来られた時に,私は子供がぐれたり暴れたりしたらやるだけやらせてくださいと言います。子供が頭にきた時は何を言っても駄目です。今まで子供を甘やかしてきた結果だからです。ひと暴れしたら子供も落ち着いてきます。皆様も頭にきたら人が何を言っても聞き入れたくないでしょう。今までがナアナアと甘やかしてきたのではないでしょうか?小さな子供さんを持っていらっしゃる若いお母さん,叱るのではなく,話し合って躾けるのです。解りやすくね。若い人たちも親とケンカした,恋人と別れたと私に話します。私は黙って聞いているだけです。両方が頭にきたらいけません。世の中でのもめ事はお互い自分を通そうとするからです。ケンカの後で後悔した事が多々あるはずです。あそこまで言わなければよかった・・・と。生きている限り大切な事は人の言う事を最後まで聞いてあげてこそ人生は楽しくなるはずです。話は戻りますが,私が屋久島に行っている時,18才の友だちから電話がありました。「鹿児島の私立大学に合格したよ。僕,頑張ったよ」と。私は嬉しいでしたが,おばあちゃんは私の何倍喜んだ事でしょう。
4月の初め,私は大阪に修行に行っている時,彼からメールが来ました。4月5日に必ず会ってください。絶対会ってください。一生のお願いと書いてありました。私は彼が何を言いたいのか解りました。私は5日に会いました。「生れて初めてスーツを着ましたので見てください。僕は見せる人が先生しかいません」嬉しいですね。ヒデちゃんはカッコ良かったです。タレントの誰かに似ているのですが,思い出せません。今の楽しみはヒデちゃんにネクタイを買ってあげる事。ヒデちゃんと食事に行く事です。
オメデトウ,ヒデ

2014/04/13
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

私がフリージアの花を知ったのは昭和46年の1月でした。
昭和45年12月末に,12年間勤めていた住友金属を退社して鹿児島に帰って来たのが1月11日で,大きな夢と小さな不安を抱えて人情の厚い鹿児島に帰って来ました。
2月4日にお好み焼屋を開店して何も解らないまま,ただ頑張れば良いという考えで仕事をしていました。商売というものを何も知らずに,朝から深夜まで毎日14時間働いておりました。その頃は29才,どんな無理も出来ました。
私のいとこが10本くらいのフリージアの花をカウンターに飾ってくれまして,フリージアの匂いを嗅いだ時とても良い香りがしてすごく好きになりました。
それから長い間匂いを嗅ぐ事も無く,せっせとお好み焼を焼いておりました。
2月4日は14,000円くらい売り上げましたが,2月5日は4,000円くらい,その次は3,000円というふうに日一日と売り上げが無くなっていき,忘れもしない2月12日は800円くらいしか売り上げがなかったのです。でもその時は勢いがありましたので,明日こそはという気持ちが強くて頑張ったのですが,だんだん家にお金が無くなりまして家賃を支払うのがとてもつらくなりました。その時は2才の長女と生れたばかりの長男がいて,私と女房は店の残り物ばかり食べて,これから先はどうなるのだろうと考えた日もありました。私は6ヶ月間は店を休まないで無休で頑張ると決めていました。毎日ギリギリの生活を送っていました。以前に書きましたが女房は安いテトロンの着物を2枚持っていて,それを毎日代わる代わる着ていました。私は2~300円のTシャツと480円のズボンを3枚くらい持っていて,ほとんど着たきりスズメ状態でした。
何で売り上げが上がらないんだろうと悩んでいる日が続いていたのです。
私は酔っ払いが嫌いで,お客様とのコミュニケーションを避けていたのに気付き,誰とでも話を受け入れる様にしようと努力しました。その頃は自分の嫌いな事を好きになるのはすごいストレスでした。両親は近くに住んでお好み焼屋をしていましたが,毎日20,000円くらい売り上げていましたが,私と言えば3,000円から6,000円しか売り上げられません。悔しいでしたね。今,考えると母は市場に行く途中だと言って,道は反対方向なのに2日に1回くらい店に来て「どや!忙しいか?」と聞きに来ていました。親心として心配していたのでしょう。6ヶ月後に3,000円くらいお金が残ったのを憶えています。お金の無い日が多々あってお金の大切さが身にしみました。色々な紆余曲折があり,私はその年の冬に過労で倒れ5日間寝ていました。その時に女房がフリージアの花を部屋に飾ってくれたのに気付き,私は何度も匂いを嗅いでいました。それ以来,毎年フリージアの季節になればお金に困っていたあの頃を思い出します。そして黙って私の家族の事を陰で心配してくれていた親の心を考えます。
今,若い商売人の方が苦しんで相談に来られます。私は食べる物が無い時がありました。でも共働きしようとか,店を閉めようとか逃げ道を作りませんでした。「継続は力なり」そんな言葉を今も自分に言い聞かせながら,人様に迷惑を掛けない様生きています。観音登光会のベランダ,私の家のベランダに赤や白,黄色のフリージアがいつも良い香りを与えてくれています。若い皆様,感謝の気持ちを忘れないでください。今の世の中,いつ何が起きてもおかしくない世の中です。建て前ばかりの世の中で覚悟して頑張って欲しいのです。

2014/03/25
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

2月20日から私は,34年間付き合って頂いている友人の家入社長と付き合って13年経つ今,勢いのある松﨑社長と3人で寒さを逃れて台湾にお参りに行きました。龍山寺というお寺で,観音様をお祀りしている所です。
台湾は12度と寒いでした。私たちは2月20日から2月24日までの修行でしたが,夜は6度しかなくてとても寒いでした。22日に家入君,松﨑君が行ったことの無い淡水(たんすい)という景色のすばらしい所に電車で40分かけて行きました。行きも帰りも台湾の優しい若者が私に席を譲ってくれました。台湾人は日本人にとても優しいです。私は台湾に行くと,懐かしい気持ちになり疲れていた心がリフレッシュできるのです。
電車の中で席を譲ってもらって一人で考えていました。私は17才の頃,朝から夜まで働いていました。一緒に住んでいた祖母が口癖のように,大阪の難波にある「いづも屋」に行ってまむし丼(うな丼)を食べたいと言っていましたので,阪急電車で大阪梅田に行き,それから地下鉄で難波に祖母を連れて行きました。夕方6時くらいで電車はとても混んでいました。祖母は82才で足が悪かったのですが,尼崎から難波まで可哀想でしたがずっと立っていました。難波に着いた時,祖母は疲れたのでしょう,額に汗をびっしょりかいていました。15分くらい歩いて「いづも屋」でまむし丼(うな丼)を全部食べて,「おいしかった。おいしかった。」とずーっと喜んでいました。帰りに大阪から尼崎まで電車に乗った時,若いお兄さんが祖母に席を譲ってくれました。祖母も私もすごく嬉しかったのです。17才の私はそれ以来,お年寄りが電車に乗って来られますと,すぐに席を譲ります。
祖母は電車の中で,大きな声で私に言いました。「勉ちゃん。人に親切をたくさんすると,あんたが年寄りになった時,人からいっぱい親切を受けるよ」と。
私は恥ずかしかったのですが,その時の祖母の言葉を胸に刻んで今でも思い出しております。
家入君は19才から付き合ってもらっておりますが,一度もケンカをした事がありません。私は家入君が良くなって欲しいと思って,彼の若い時は嫌味ばかり言ってきました。家入君はそれでも私の言う嫌味を我慢強く聞いていました。松﨑君は私が怒っても受け入れてくれます。私は絶対に人前では泣かないのですが,一度だけ人前で泣きました。家入君の結婚式の日です。お金が無いのに一生懸命ささやかな結婚式の為頑張ったからです。
話は戻りますが,祖母が50年前に行なった親切を今,皆様から受けています。最近,一緒に家入君や松﨑君とよくお参りをしますが,二人は私を親のように大切にしてくれます。彼等も行動や私の言う事を守って素晴らしい社長になっています。家入社長,頑固を直してください。松﨑社長,自分の親にも優しくしてあげてくださいよ!
私に席を譲ってくださったお兄さん,あなたは将来きっと素晴らしいリーダーに成られると信じています。今でも人に親切にしてあげる事は自分に親切にしてあげる事なのです。私はそう信じながら一生懸命,老体にムチを打ちながらプラス思考で生きています。

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