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2015/03/07
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

人形や祈願用紙を持って私は毎月,益救神社に皆様の健康とお願い事をしに屋久島に行きます。
昨年10月くらいまでは山登りのお客様がたくさん来ておられました。世界遺産になってからは外国のお客様もたくさん見かけたのですが,最近の屋久島は少し淋しいです。
私はプラス思考なので今,自分を振り返るのにはまたとないチャンスだと思っております。
世間を見ていますと,何の罪も無い将来有望な子供たちや大きな智恵を持ったお年寄りが簡単に殺されるのを聞きますと何と切ない世の中になったのかと思い,心が折れそうになります。
今,世間では叱られたい若者がいて,1時間に1,000円から5,000円払って叱られる若者が多いとテレビで言っていました。
皆様考えてください。お年寄りは同じ事を何回も言っているのでうるさいと思われますが,私はお年寄りと話す事は好きです。お年寄りはゆっくりとした口調で何回も同じ事を言いますが,私はそんな時は自分の考え方とお年寄りの長い経験談を自分のものさしで計りながら聞いています。
昨年末に89才の少し痴呆の入った女性と話しました。話し方はトロトロと話されますが,私は学びました。
① 少しの事で腹を立てるな。
② なってしまった事はもう仕方がないでしょ。
③ 何事もすぐに諦めたらいけないよ。
私にとって大きな大きな収穫でした。
今の若い人は本当に優しいのですが,ゲームやパチンコをして人とのコミュニケーションが下手くそと考えました。私は観光客の少ない屋久島に行って,神社で長い時間,自分を探しに行きます。殺伐とした世の中と皆さんは思われますが,会社で学校で家庭で自分ひとりになる時間は少ないと思います。
今は寒いので海に行きましても車の中から沈みゆく夕陽をいつまでも見ていたり,静かな神社で鳥の鳴き声を聞きながら自分探しをしています。若い人と話をしても「行きたいのだけど時間が無い」と言われます。89才のおばあさんは「思っていても何も始まらないよ。私は若い頃はあちこちで行きました」と言いました。遠くでなくてもいいです。今,文句が言える自分に感謝する事が自分の出発(旅立ち)の第一歩ではないでしょうか?
私はお医者様から言われました。「長谷川さん。あなたはガンが転移して体にはまだガンが有りますよ。今度再発したら保証は出来ませんよ」と。ガンの再発を恐れて生きていません。朝起きた時,元気な自分と神様にお礼を言いながら生きています。
屋久島は本当に何も足さない静かな所です。今年は皆様も自分探しの近場の場所に行かれる事を心から望んでいます。寒い日が続いていますので,風邪などをひかないよう頑張ってくださいますように・・・。

2015/02/21
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

最近は恐ろしい事件が世の中では起きすぎています。
私は今までつらい事があれば,今を我慢して気持ちを前向きに考え,明日こそは絶対に良くなる。明日は気持ちを切り替えていこうという考え方を持って生きて来ました。
でも最近は大人になりきっていない親が小さな子供を殺したり,傷つけたりしているのをテレビや新聞等で見ますと心が折れてしまいます。
神様がくださったお金では買えない宝物(子供)を頂いていながら大切な子供を叩いたり,手や足を折ったり,私にはとても考えられない事を耳にします。私も子供が小さい頃,子供を叱りました。子供たちには普通の生活をさせてあげたくて,私は夜中の1時まで店を開けておりました。その頃のお好み焼屋は昼にお客様はポロポロ,夕方は暇で夜の10時を過ぎた頃に少しだけ忙しい毎日でした。暇な時間が多く,あの頃は時間がかなり有りました。そんな時,学生さんがお好み焼を食べに来て,私に色々な事を相談していました。
その頃でも私は,人の好き嫌いが無いので誰とでも仲良くなれて,親身になってお金儲けよりも人を大切にしていました。せっかく苦労をして大学に入ったのに5月頃になると私の店に泣きに来て,大学を辞めたいとお好み焼を食べないで,相談だけ来る人もかなりいました。
私の長男は小学校4年生くらいだったと思います。服がびしょびしょで帰って来ました。なぜが私は頭にきて,長男の持っていた傘で長男を叩きました。何のために傘を持っているんだ。頭から足の先まで濡れて,まるでプールに入ってきた様じゃないか!その時はだいぶ頭にきました。普段から長男は水遊びが好きだったので,帰りに水遊びをしながら帰って来たのではないかと考えて叱りました。長男は私のいないところで,女房に泣きながら話していました。言い分はこうです。「お父さんは人に親切にしなさいといつも言うクセに僕が他(よそ)のおばあさんが傘もささずに手荷物を持っていたので,おばあさんに傘をあげて,僕は荷物を持っておばあさんの家まで行ってあげたのにお父さんから叱られた」と言っているのが聞こえてました。一時が万事で,今でも生き方が下手くそです。要領が悪い息子たちです。まだ息子たちに子供がいませんが,息子たちが子供を育てるとしたらどんな育て方をするでしょう。絶対に窓から子供を投げたり,感情で子供を叱る事はしないでしょう。今,思い出しました。4年前に娘が次女を出産した時の事です。その病院には入口の近くに出産したばかりの赤ちゃんと面会するガラス張りの所があるのですが,私が夕方6時頃に孫に会いに行った時,今産まれたばかりの赤ちゃんがいて,若いお父さんが泣きながら「産まれて来てくれてありがとう」と何回も言っていた姿を思い出しました。私は感動して,そっと後ろから見ていました。本当ですよね!赤ちゃんを大切にするという事は自分を大切にする事ですから。
長男に何も聞かないで,叱る私は自分の感情で生きていたのです。夕食の時,ごめんねと謝りました。遠い思い出です。世の中が平和である事を祈りながら生きています。

2015/02/08
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

まだ私の気持ちの中では新年を迎えた気持ちになっておりません。
でも友だちやお客様に出会うと,おめでとう御座いますとか,今年も宜しくお願いしますと言われます。
正月に娘の孫たち2人姉妹が帰省して,朝早くから賑やかに家の中を走り回り落ち着かないのが正月だと思っておりました。昨年末に孫の妹の方がインフルエンザにかかり,娘と孫は鹿児島に帰って来ませんでした。
孫の姉の方は娘婿と帰って来たのですが,私の家に15分から20分位立ち寄って東京に帰って行きました。寂しくて寂しくて今でも私の心の中に穴が開いたままです。
皆様はどんな正月を迎えられたのでしょうか?孫たちは大きくなって子供夫婦だけで帰って来た話も聞きました。私たちの世代になりますと,身体が自由に動かず夫婦で寝正月をされた御夫婦もいらっしゃるようでした。昨年末の12月29日から毎年,屋久島に一泊で一年間の御礼参りに屋久神社にお参りに行きます。その時に神社の境内で都会から帰って来たと見られる小さな子供たちが走り回っているのを見ると心が落ち着きます。
私は小学校の低学年と見られる女の子に話しかけました。どこから帰って来たの?と聞きますと,その子供さんは大阪からと答えました。屋久島は楽しい?と聞きますと,楽しいと答えてくれました。私は小さな目の澄んだ子供たちと話すと嬉しくなります。しばらくは神社で遊んでいる子供たちを見ていると,ああ正月だなぁと考えたのですが,初めに書きましたように孫と会えなかったので寂しい寝正月でした。
正月の三が日を過ぎたころ私は本当に寝正月をしていまして,夕方頃でした。携帯電話が鳴るので出ましたら,2才年下の友だちでした。小さな声で長谷川君,元気ですか?俺はあの世からお迎えが来ているので先にあの世に行くからね。長谷川君はもう少し人助けをしてからあの世に来てやと病院のベッドから友だちの電話でした。私は7年前にガンの手術をした時,彼はしょっちゅう電話をくれました。私の為に泣いてくれて頑張れ,頑張れと励ましてくれました。その時彼は健康体でしたのに7年間の年月はこうも人生を変えてしまうだなぁと切ない気持ちになりました。私はいつもテレビを見てもすぐ泣くのですが友だちの事を考えますと悲し過ぎて涙が出なかったのです。こんな経験は両親が亡くなった時と同じでした。友だちは山口県の呉市で眠っています。本当に私より健康だった友だちが私より先に亡くなるとは今でも信じられないです。
以前にも書きましたが一日一生ですね。何もしなくても一日は過ぎ去ります。今年はできる限り一日の重さを感じながら生きたいと考え,そして忘れないように努力して参ります。

2015/01/25
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

昨年の11月と12月は本当に忙しい日々を送りました。
私は鹿児島に帰って来まして今年で44年目です。今考えて見ますと色々な事がありましたが44年は早かったです。
若い頃は自分のやっている事は間違いないんだと人の言う事もあまり聞かずに自分の考えを通して生きてきました。その私が33才で知り合った大切な友人がいました。彼はケン古川と言って異なった宗教をしている宣教師でした。ケンさんは21才でハワイから伝道で来ていました。彼は私の家に来る時はいつも手作りのケーキやクッキーを作って持って来てくれました。ケンさんは宣教師で月に2万円で生活していて,自分の食べ物を節約して人に与える人でした。ケンさんは人の親切は受ける人ですが,人に与える事が好きで誰にでも愛を与える人でした。私はサラリーマンを辞めて,わがままな性格だったのです。とても優しくて神様の様な人でした。
彼は大分県に転勤して行ったので連絡は取り合っていました。ある時,娘と二人で大分県に会いに行きましたら,2ヶ月間耳パンを食べて,私と娘にお金を貯めてカツ丼を食べさせてくれたのです。それから彼は連絡の取れない所に転勤して,40年間会えずにいました。ずっとケンさんの心の大きさ,優しさを考えるたびに会いたいと考えていたのです。
ひょんな事から私は彼の住んでいるハワイの電話番号を調べましたら探し当てました。何回か電話しましたが,いつも留守番電話ばかりで,もう会う事ができないと諦めかけていました。そんな時,一郎君という友だちがハワイに仕事で行くという事だったので同行させてもらいました。私の心の中ではもう会えないと思いながら一郎君に付いて行きました。ハワイに着きましたら一郎君の友だちの健太郎君を紹介され,ケンさんの事を話したところ,健太郎君が連絡を取ってくれまして私に会わせていただきました。実はハワイに行く目的がもう1つありました。仲の良かった友人が私の心臓とガンの病気を心配して励ましてもらったのですが,昨年夏に肺ガンで亡くなり気落ちしていました。自分の仕事の引き際を考えに行くつもりでした。
ケンさんと会って私たちは5人で行ったのですが,自分は食事をしないで私たち5人をディナ-ショ-に招待したのです。大変なお金を使わせました。ケンさんは,自分はお腹いっぱいなので行かないと言ったのです。後で聞きましたらケンさんは何も食べてないと言いました。こんな世の中で自分は食べずに見も知らない人たちに食事を招待する良い人とは今まで会った事はありませんでした。自分を犠牲にしてまで私と友だちのために尽くしてくれる人はいないです。その他いっぱいの親切と愛をくださる人はいません。たくさんの日本の友だちが亡くなって意気消沈している私は何と甘い人間なのかと考えました。
もうしばらく皆さんに助けられ,そして微力ながら皆さんのお役に立てる様に頑張ります。
何事も起きない一日が幸せな一日なんですね。

2015/01/07
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては色々な思い出多い正月を迎えられた事と思います。
昨年暮れからは北九州,日本海側,東北以北にお住まいの方々は大雪に見舞われて大変な新年を迎えられた事と存じます。東北の震災に遭われた方々,広島の災害に遭われた皆様がまだ復活されずにおられる事をテレビで見る度に涙を流しています。このような事が風化されずにいつまでも心に留めている日々を送りたいと祈念しております。
未(ひつじ)の年は,未はお金を食べると言われて景気があまり良くないと言われております。私は昨年来,無駄な買物はするな。必要な物だけ買う様に言って参りました。食品の値は上がってはいませんが,内容量が減っていて,若い人たちはインスタントラーメンとおにぎり1つでお腹がまずまず満足だったそうですが,今はインスタントラーメンとおにぎりを2つ食べないといけないと聞きました。実質的には値上がりしている様ですね。今までの様な食べ残しが無くなるとよいのですが・・・。
今年は自然災害が多く起きる年です。台風も上陸してきます。今までは鹿児島が台風銀座と言われてきました。昨年は中部地方や関東地方で水の災害が起きましたが,今年も昨年と同様な事が起きるかもしれません。まだ色々な事が日常起きるのですが,ここで書きますと混乱が起きるかもしれませんので控えさせていただきます。一番気を付けないといけない事は虫や鳥が菌を運んでくるので,感染しない様にご注意ください。地球温暖化で新しい病気が流行するかもしれません。皮ふ,鼻,ノドの病気にご注意ください。
私の手違いでごあいさつが遅くなりました事をお詫び致します。
正月休みに皆様は色々な所に行かれた事でしょう。里帰りして墓参りされた方,親と楽しいひと時を過ごされた方は良かったですね。
私は若い皆さんによく話をします。正面から見た親は元気そうですが,親の後姿は寂しそうなんです。目が見えにくくなり,耳が聞こえにくく,今まで重い物を軽々と持っていたのですが,最近はようやく持つようになりました。そんな親を見てきましたか?皆様がふるさとに帰って来るのを楽しみにしていた親は今頃,腰が痛い,疲れたと言っていますよ。でも嬉しい疲れなのでまた今日も頑張った事でしょう。たまには「元気か?」,「体を大切にしなさいね」と電話してあげてください。
親はお金よりも息子や娘の声を聞ける事が一番の宝物ですから・・・。

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