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2015/02/21
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

最近は恐ろしい事件が世の中では起きすぎています。
私は今までつらい事があれば,今を我慢して気持ちを前向きに考え,明日こそは絶対に良くなる。明日は気持ちを切り替えていこうという考え方を持って生きて来ました。
でも最近は大人になりきっていない親が小さな子供を殺したり,傷つけたりしているのをテレビや新聞等で見ますと心が折れてしまいます。
神様がくださったお金では買えない宝物(子供)を頂いていながら大切な子供を叩いたり,手や足を折ったり,私にはとても考えられない事を耳にします。私も子供が小さい頃,子供を叱りました。子供たちには普通の生活をさせてあげたくて,私は夜中の1時まで店を開けておりました。その頃のお好み焼屋は昼にお客様はポロポロ,夕方は暇で夜の10時を過ぎた頃に少しだけ忙しい毎日でした。暇な時間が多く,あの頃は時間がかなり有りました。そんな時,学生さんがお好み焼を食べに来て,私に色々な事を相談していました。
その頃でも私は,人の好き嫌いが無いので誰とでも仲良くなれて,親身になってお金儲けよりも人を大切にしていました。せっかく苦労をして大学に入ったのに5月頃になると私の店に泣きに来て,大学を辞めたいとお好み焼を食べないで,相談だけ来る人もかなりいました。
私の長男は小学校4年生くらいだったと思います。服がびしょびしょで帰って来ました。なぜが私は頭にきて,長男の持っていた傘で長男を叩きました。何のために傘を持っているんだ。頭から足の先まで濡れて,まるでプールに入ってきた様じゃないか!その時はだいぶ頭にきました。普段から長男は水遊びが好きだったので,帰りに水遊びをしながら帰って来たのではないかと考えて叱りました。長男は私のいないところで,女房に泣きながら話していました。言い分はこうです。「お父さんは人に親切にしなさいといつも言うクセに僕が他(よそ)のおばあさんが傘もささずに手荷物を持っていたので,おばあさんに傘をあげて,僕は荷物を持っておばあさんの家まで行ってあげたのにお父さんから叱られた」と言っているのが聞こえてました。一時が万事で,今でも生き方が下手くそです。要領が悪い息子たちです。まだ息子たちに子供がいませんが,息子たちが子供を育てるとしたらどんな育て方をするでしょう。絶対に窓から子供を投げたり,感情で子供を叱る事はしないでしょう。今,思い出しました。4年前に娘が次女を出産した時の事です。その病院には入口の近くに出産したばかりの赤ちゃんと面会するガラス張りの所があるのですが,私が夕方6時頃に孫に会いに行った時,今産まれたばかりの赤ちゃんがいて,若いお父さんが泣きながら「産まれて来てくれてありがとう」と何回も言っていた姿を思い出しました。私は感動して,そっと後ろから見ていました。本当ですよね!赤ちゃんを大切にするという事は自分を大切にする事ですから。
長男に何も聞かないで,叱る私は自分の感情で生きていたのです。夕食の時,ごめんねと謝りました。遠い思い出です。世の中が平和である事を祈りながら生きています。

2015/02/08
カテゴリー: 長谷川手記
投稿者: admin2

まだ私の気持ちの中では新年を迎えた気持ちになっておりません。
でも友だちやお客様に出会うと,おめでとう御座いますとか,今年も宜しくお願いしますと言われます。
正月に娘の孫たち2人姉妹が帰省して,朝早くから賑やかに家の中を走り回り落ち着かないのが正月だと思っておりました。昨年末に孫の妹の方がインフルエンザにかかり,娘と孫は鹿児島に帰って来ませんでした。
孫の姉の方は娘婿と帰って来たのですが,私の家に15分から20分位立ち寄って東京に帰って行きました。寂しくて寂しくて今でも私の心の中に穴が開いたままです。
皆様はどんな正月を迎えられたのでしょうか?孫たちは大きくなって子供夫婦だけで帰って来た話も聞きました。私たちの世代になりますと,身体が自由に動かず夫婦で寝正月をされた御夫婦もいらっしゃるようでした。昨年末の12月29日から毎年,屋久島に一泊で一年間の御礼参りに屋久神社にお参りに行きます。その時に神社の境内で都会から帰って来たと見られる小さな子供たちが走り回っているのを見ると心が落ち着きます。
私は小学校の低学年と見られる女の子に話しかけました。どこから帰って来たの?と聞きますと,その子供さんは大阪からと答えました。屋久島は楽しい?と聞きますと,楽しいと答えてくれました。私は小さな目の澄んだ子供たちと話すと嬉しくなります。しばらくは神社で遊んでいる子供たちを見ていると,ああ正月だなぁと考えたのですが,初めに書きましたように孫と会えなかったので寂しい寝正月でした。
正月の三が日を過ぎたころ私は本当に寝正月をしていまして,夕方頃でした。携帯電話が鳴るので出ましたら,2才年下の友だちでした。小さな声で長谷川君,元気ですか?俺はあの世からお迎えが来ているので先にあの世に行くからね。長谷川君はもう少し人助けをしてからあの世に来てやと病院のベッドから友だちの電話でした。私は7年前にガンの手術をした時,彼はしょっちゅう電話をくれました。私の為に泣いてくれて頑張れ,頑張れと励ましてくれました。その時彼は健康体でしたのに7年間の年月はこうも人生を変えてしまうだなぁと切ない気持ちになりました。私はいつもテレビを見てもすぐ泣くのですが友だちの事を考えますと悲し過ぎて涙が出なかったのです。こんな経験は両親が亡くなった時と同じでした。友だちは山口県の呉市で眠っています。本当に私より健康だった友だちが私より先に亡くなるとは今でも信じられないです。
以前にも書きましたが一日一生ですね。何もしなくても一日は過ぎ去ります。今年はできる限り一日の重さを感じながら生きたいと考え,そして忘れないように努力して参ります。